父母の背を流せし如く墓洗う

 9月の下旬に入りました。先週より10月の献立表をお配りしております。気になるメニューをチェックしてみてください。

 

 明日22日(日)は二十四節気の「秋分」です。太陽が真東から昇り真西に沈む、昼と夜の長さが同じになる日のことで、秋分の日を中心とした一週間が秋の「お彼岸」です。これからしだいに秋が深まっていきます。

 父を亡くして25年が経ちます。そう、四半世紀が過ぎてしまいました。父のやさしい声、手のぬくもりは、忘却の彼方となりました。父の晩年は糖尿病から目を悪くし、視力を失っておりました。しばらくは白杖を使いながらも仕事を続けておりましたが、程なく週2日の人工透析治療を受けることになり、60歳になる前に仕事も辞めました。父の一番の楽しみがラジオでした。洋間のソファーに腰を下ろして、どことなくさみし気に、一人でラジオを聞く姿がいまでも脳裏によみがえります。私も父が亡くなった歳に近づきました。やり残した仕事はまだまだたくさんありますので、いま父のもとに行くわけにはいきません。この世で科された私の使命を果たし、やり残したことがないよう生き切ってから、父に会いたいと思っています。秋分の日は、次に紹介する記事の中の『父母の背を流せし如く墓洗う』思いで、お墓参りに行ってきます。

人を偲ぶ心の優しさ~西端春枝(真宗大谷派淨信寺副住職)』

 最近はタクシーを使うことが増えましてね。その時にはできるだけ運転手さんに話し掛けるようにしているんです。この前も、「あんた、お母さんいてはるの」とお聞きすると、小学校の頃に亡くなったと言うんですよ。でも具体的に何月何日だったかは覚えていないし、ある運転手さんは両親の命日を知らない。中にはお兄さんと喧嘩して家を飛び出したから、どこのお寺さんに行けばいいのか分からないという。こういう人たちに出くわすと、もう黙っていられないから身を乗り出して説教が始まるんですよ(笑)。彼らはいつも車で走っているので、お寺の前を通ったら、ちょっとでも頭を下げるようにと言うんです。それだけでもいいって。

──それだけですか。

 そう。でもね、そうすれば、自然とお母さんのことを思い出したり、心の中でお父さんに話し掛けられるようになるんです。そうやってご自身が亡くなるまで、折に触れて親のことを偲ぶことも親孝行なんですよ。そしてこのような話をしながら、私自身もまた自分の親のことを偲んでいる。ある運転手さんが私と話し込んで、つい道を間違えてしまって遠回りしたことがありました。彼はしきりに謝りましたが、それよりも私は「遠回り」というのが懐かしいなと思ってね。なぜかと言えば、子供の頃に母親から「はよ帰っておいで」と言われていたんだけど、機嫌が悪くて遠回りして帰ったことがあったんです。つまらないことして、親を困らせてね。そんな懐かしい母との思い出を、思わぬ人の言葉で思い出せるんです。

──それもまた親孝行だと。

 父は親孝行なんて、親が生きている間に満足にできているなんて思うな、と言っておりました。親が子を思う心の半分も、お返しなんぞできるものではないと。だから昔の人はお盆の時に、墓石を洗いながらこんな詩を思い浮かべていたんです。

「父母の背を流せし如く墓洗う」

 いま生きていれば一遍でも背中を流してあげるのにな、と思う時にはもう親はいないんですね。だからせめて父母の背中を流すつもりで墓石を洗う。こうやって一つひとつの出来事を通じて、私たちは亡き親を偲ぶことができるんですね。