今この瞬間に生きる!ピダハン族

 今朝、車の温度計を見ると13度。この秋でいちばん寒い朝になりました。堪らずエアコンを冷房から暖房へ切り替えました。まだまだ体が夏モード、急な寒さについていけません。みなさん、くれぐれもご自愛ください。

 11月の献立表が完成しました。今までコンタクトのあったお客様には献立表を郵送しておりますが、発送が今週末になる見込みです。お手元に届くまで今しばらくお時間を頂戴します。待ちきれないお客様は、お手数をお掛け致しますが、下記にアクセスの上、ダウンロードしてご使用ください。
 11月1日より、配達弁当用の『わっぱ風弁当箱』(リユース)を、『使い捨て容器』に変更させていただきます。使い捨て容器の廃棄は各自お願いすることになります。何卒、ご理解賜りますようお願い致します。

『今この瞬間の自分』に集中して生きるピダハン族

 アマゾンの熱帯雨林地域の奥地に存在する400人に満たない少数民族。『ピダハン族』と呼ばれる彼らは“直接見聞きし経験したことのみしか捉えない『直接体験の原則』に基づいた文化を持つ。一言で言うなれば、今この瞬間を生きている民族と言えるだろう。ピダハン族には、過去と未来という概念が存在しない。そして、そもそも概念が存在しないのだから、彼らの言語に過去や未来を表す時制は存在しない。過去という概念がない為、故人の死を弔う葬式などの儀礼や創世神話などは存在しない。血縁関係の離れた曾祖父母という概念もない。また、未来の概念がない為、肉の塩漬けや燻製といった保存食や加工食は存在しない。未来に食を持ち越すという考えがそもそも発生しないのである。目の前に存在する直接的な体験のみしか認識しないピダハンにとって、存在するのは『今この瞬間』のみである。もはやそうせざるを得ないとも言えるが、過去や、未来が概念として存在しないのであれば現在しか存在しないのは当然だろう。そして、当然、現在と過去、現在と未来の“比較”も生まれることはない。つまり、過去を後悔したり未来を不安がることでストレスが生み出される状態自体が彼らにとっては起き得ないことなのである。

 危険な虫や伝染病、外部からの侵入者。私達の普段の暮らしからは到底想像し難い未知の危険性が潜む環境にも関わらずピダハンはその運命が訪れた時に淡々と受け入れる。ピダハン族は『今この瞬間』のみを意識して生きている。加えて、人々がストレスを感じる別の要因として、他者との比較によって抱く劣等感もあるだろう。しかし、これまた興味深いピダハン独自の概念として自分/他人の区別がはっきりとしていないのである。彼らの言語にはありがとうやこんにちはなど、その言葉自体に情報的価値を持たない『交感的言語』が存在しない。本来、交感的言語の役割の中に、他者との関係性を友好的に保つ事が挙げられる。そうした言語を持たないそれはつまり必ずしもイコールでは結びつかないが、自分と他人の境界線が曖昧であることを示していると言われている。他人と自分との区別がはっきりとしていないという事は他人に対して負い目を感じることがないという事である。そのため、他者との比較がストレスを感じる要因にはならず、さらに結果として人間関係の摩擦も起きずらい。

 『今この瞬間』に集中しているだけではなく、彼らは『自分』にも集中しているのである。意図せずではあるが、今/ここ/自分に焦点を絞って生きることはそれ以外の、自分の過去や未来、あるいは他者を切り捨てているとも言える。捉え方によっては、機会損失を生むとも言えるが、むしろ切り捨てることでシンプルな生き方を実践しているとも言える。その証拠にピダハンはよく笑うそうだ。直接体験したことのない他文化に興味を示さない彼ら。彼らにとって「現在」をあるがままに生きる自分達の文化と生き方こそ最高であり、未来も他者も思い悩む理由にはならないのだ。

「今 ここ 自分」と小さく唱え、自分に意識を向けてみると、少し心穏やかに。そして何より目の前にある楽しみや幸せを感じながら過ごせるかもしれない。