不条理の先に灯る光――石黒大圓氏が「いのち」から学んだこと

「僕、何も悪いことしてへんのに、何でこんな苦しまなあかんの」
わずか4歳でガンと闘っていた次男が放ったこの言葉。この世の不条理を象徴するような問いに、私たちはどう向き合えばよいのでしょうか。
今回は、過酷な喪失体験を経て、現在はホームレス支援に身を投じている石黒大圓さんの手記『いのちに導かれて』から、私たちが今を生きるヒントを考えてみたいと思います。
■ 立て続けに訪れた「愛する人との別れ」
石黒さんは、4歳の息子さんと、その9年後には奥様を亡くされました。「死ななければ我が家へ帰れない宿命」という言葉に、当時の絶望の深さが滲みます。
しかし、石黒さんの物語はそこでは終わりません。ある夜、路上で「オヤジ狩り」に遭い、激しい暴行を受けた経験が、彼に一つの転機をもたらしました。
■ 「痛み」が教えてくれた共感の正体
半年後、暴行による打撲の痛みが消えかけた瞬間、石黒さんは涙が止まらなくなったといいます。
「妻も子も、この痛み、苦しみをずっと耐えてきたんだ」
自らが痛みを知ることで初めて、愛する人たちが耐え忍んだ苦しみが「我がこと」として胸に迫ってきたのです。この身体的な実感こそが、他者の悲しみを自分のものとして受け止める「共感」の原点となりました。
■ 「当たり前」という名の大きな恵み
石黒さんは、自身の経験からこう問いかけます。
- 毎日、家族の笑顔が見られること
- 仕事があり、食べていけること
- 大きな病気やトラブルに見舞われていないこと
これらは自分の努力の結果だけではなく、「人知を超えた力によって守られている恵み」であると。私たちは、目に見えない大きな力の中で「生かされている」存在なのです。
■ 救うことは、救われること
現在、石黒さんは年間100人以上が路上死する現実と向き合い、寝袋を配る支援活動を続けています。彼にとって、路上で凍える人々の姿は、亡き妻や子の姿と重なります。
「人の喜び我が喜び、人の悲しみ我が悲しみ」
この言葉を地で行く活動は、亡き家族への「恩返し」であり、二人に背中を押されるようにして動かされている日々だといいます。
■ 苦難の門の先に
「苦難福門」――苦難を経ることで、幸福への門に至る。
石黒さんの歩みは、私たちが避けることのできない人生の不条理に対し、絶望で終わらせない「強さ」と「優しさ」を教えてくれます。
今日、私たちが無事に過ごせていること。その「当たり前」に感謝し、少しだけ周りの人の痛みに想像力を働かせてみる。石黒さんの言葉は、凍えた心を温める寝袋のように、私たちの心に寄り添ってくれます。

