本当の「感謝」とは何か?――森信三先生が説く、揺るぎなき幸福への門

 本日、2月23日(祝・月)はエフピコアリーナで開催される『ふくやまユニバーサルスポーツフェスティバル』にお弁当を出店します。たくさんの方々に、足を運んでいただき、エベントを楽しんでいただけたらと思っています。もし宜しければお弁当もいかがでしょうか。みなさまのご来場をお待ちしております。

「感謝」という言葉の意外なルーツ

 私たちは日常的に「感謝」という言葉を使います。しかし、意外なことに仏教の古い経典や禅の語録を紐解いても、「感謝」という二文字に出会うことはほとんどありません。

 仏教の世界では、感謝に近い心持ちを**「知恩(ちおん:恩を知る)」「報恩(ほうおん:恩に報いる)」**と表現してきました。それは単なる言葉のやり取りではなく、自分の命が「大きなつながり」の中に生かされているという、深い自己認識を指しています。

森信三先生が明かす「感謝」の土台

 国民教育の師父と仰がれた森信三先生は、その著書『幻の講話』の中で、真の感謝が生まれるメカニズムを次のように説かれています。

「わたくしたちが[感謝]の念をいだいたり、有難いという気持ちになるには、かえりみて**『自分はそれを受けるに値いしない』という謙虚な自覚**が、その根底に予想される」

 私たちはつい「自分にはこれを受ける権利がある」「こうされるのが当然だ」と考えがちです。しかし、森先生はあえて逆を説きます。 「自分のような人間に、これほどの好意や環境が与えられているのは、もったいないことだ」という謙虚な自己限定こそが、感謝の源泉であるというのです。

不平不満が消える「心の数理」

 森先生の言葉には、私たちが「真の幸せ」を感じるためのヒントが詰まっています。

「現在の自分の生活のすべてが、自分のような人間にとっては、もともと受けるに値いしないというように考えられるとしたら、この世の中には、不平不満ということは一切ないわけで、そういう人こそ、真に幸せな日々を送っている人といってよいでしょう。」

 これは、幸福を「足し算」ではなく「引き算の後のプラス」として捉える考え方です。

  • 「当然」というスタートライン: 期待より少なければ「不満」になり、満たされても「当たり前」と感じる。
  • 「もったいない」というスタートライン: 存在すること自体が奇跡であり、あらゆる出来事が「過分な恵み」となる。

 この「身に余る光栄である」という地点に立つとき、私たちの心から不満の霧が晴れ、静かな幸福感が立ち上がります。

恩を知り、恩に報いる生き方

 こうした謙虚な自覚(知恩)は、自然と**「報恩」**の実践へとつながります。 「自分にはもったいないほどの生をいただいた。ならば、この命を少しでも世のため、人のために役立てよう」というエネルギーに変わるのです。

森先生は、このような生活態度が確立されたとき、はじめて**「真にゆるぎなき幸福な生活」**と呼べると結ばれました。


おわりに

 「ありがたい」の語源は「有り難い(めったにない)」です。 今の生活、今ある人間関係、そして今生きていること。それらすべてを「受ける資格のない自分への贈り物」として受け取り直したとき、私たちの日常は光り輝き始めるのかもしれません。

 皆さんも今日一日、ふとした瞬間に「自分にはもったいないほどだ」と心の中で呟いてみませんか。そこから、本当の感謝の物語が始まります。