節分の夜に、消えない灯火を灯す

今日は節分です。「鬼は外、福は内」と威勢のよい声が響く日ですが、私はこの日になると、坂村真民先生の「節分」という短い詩を思い出します。
「節分」 坂村真民
追っ払われた 鬼の子たちが お母ちゃんと 呼んでいる
それがつらくて 節分は さびしい
何度も 目が覚める
世間が「鬼=悪」として追い払うことに夢中になっているとき、真民先生は、闇の中に置き去りにされた小さな命の叫びに耳を澄ませていました。正義の名の下に誰かを排除したとき、その向こう側で泣いている「鬼の子」がいる。そのことに胸を痛め、眠れぬ夜を過ごす先生の眼差しは、仏教が説く慈悲そのものです。
「正義」という名の分断を超えて
私たちは、自分たちの正義を掲げるあまり、知らず知らずのうちに誰かに「鬼」というレッテルを貼ってはいないでしょうか。 今、世界では正義を旗印にした争いが絶えず、多くの子供たちがその犠牲となっています。しかし、真民先生が教えてくれたように、「鬼」というレッテルの向こう側にある「お母ちゃんと呼ぶ声」に気づくことができれば、そこにはもう、憎しみの壁は存在しなくなるはずです。
勝敗を捨てて、安らぎに帰す
ブッダは『法句経』で争いの本質をこう説いています。
「勝利からは怨みが起る。敗れた人は苦しんで臥す。勝敗をすててやすらぎに帰した人は安らかに臥す。」(法句経 二〇一番)
勝ち負けにこだわる限り、怨みの連鎖は終わりません。真の平和とは、相手を打ち負かすことではなく、お互いが「勝敗」という物差しを捨て、共に安らかに横たわれる場所を見つけることではないでしょうか。
心に通わせる春を
冬から春への節目であるこの日。 「念ずれば花ひらく」と信じ、踏まれても顔を出すタンポポのような強さを持って、私たちは慈しみの心を灯し続けたいものです。
争いという凍てつく冬が終わり、虫たちが目覚め、花々が咲き誇る春には、世界中の人々が手を取り合い、心通わせる季節を迎えられますように。それこそが、世界万民が心から望む「福」であり、真の幸せなのだと信じています。


