焼きたての慈悲 ― 路傍のお地蔵様とアンパンマン

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先週末、私は散歩道の傍らで、一尊のお地蔵様に出遇いました。 そのお顔は、まるでアンパンマンのようにふっくらと丸く、見る者の心を包み込むような愛らしさに満ちていました。思わず指先で触れたくなるようなその頬。そのとき、私の脳裏には、誰もが知るあの献身的なヒーローの姿が重なったのです。
「僕の顔を食べて」
自らの身体をちぎり、空腹に震える者へ差し出す。幼い頃に見たその光景は、単なるアニメの演出ではありません。そこには、作者・やなせたかし氏が凄惨な戦争体験の中で見出した、「真実の救い」が刻まれています。
戦場での飢餓、命が塵のように消えていく無慈悲な現実。やなせさんは知っていました。正義を語る口よりも、飢えた腹を満たす一片のパンこそが、絶望の淵にある人間を繋ぎ止めるのだと。
「ほんとうの正義には、かならず自分も深く傷つく」
この言葉は、仏教が説く慈悲」の極致です。 仏教における「慈」とは友愛を与え、「悲」とは共に嘆き、苦しみを取り除くこと。アンパンマンが自らを削る痛みは、決して自己犠牲の美談などではなく、相手の飢えを「自分の痛み」として引き受ける「同苦同悲」の具現なのです。
路傍に立つお地蔵様(地蔵菩薩)もまた、同じ願いを秘めています。彼らは煌びやかな仏の世界に留まることを拒み、あえて泥埃にまみれる街角に立ちます。迷い、傷つき、立ち止まる衆生のすぐ隣で、静かに、しかし力強く寄り添い続ける。
アンパンマンも同じです。彼は雲の上から救済を説くのではなく、常に困っている者の目の前へ舞い降ります。その姿は、まさに「現代に現れた地蔵菩薩の化身」と言えるのではないでしょうか。
分かち合うほどに、輝く命仏教で尊ばれる「布施」とは、決して富を分け与えることだけを指すのではありません。 優しい微笑みを向けること、温かな言葉をかけること、そして、誰かのために自分の時間や心を差し出すこと。
アンパンマンが顔を分けるとき、彼の力は一時的に失われるかもしれません。しかし、分け与えられた命の火が他者の心に灯るとき、この世界には分かち合う前よりも大きな光が満ち溢れます。
「与えることで減るのではなく、分かち合うことで命は輝きを増す」
あのお地蔵様の丸いお顔は、私たちに問いかけているようです。 「あなたも誰かのアンパンマンになれるのですよ」と。 私たちは皆、完璧なヒーローにはなれずとも、誰かの痛みに寄り添い、小さな優しさを差し出す「お地蔵様」の心を、その胸に宿しているのです。


