被爆者に思いを馳せて~筆耕・池亀和子さんの鎮魂

 お盆明けの、そして一週間のスタートです。今日からは多くの企業の活動も再開されたことでしょう。うららかな風も、今日からはみんな揃って‥と願っておりましたが、盆休みに入る前から体調を崩し、入院していたスタッフから、未だ点滴をしており週明けに再度検査を予定しているとのことで、入院加療が続くという連絡が入りました。利用者さんから、「大丈夫なん?」、「いつ戻ってくる?」とそのスタッフを案じる言葉をかけてくれました。今はしっかりと養生して、元気になって帰って来てくれることを祈っています!何より、みんなが首を長くして待っていますよ!

 今日の弁当作りですが、利用者様と新発売・田舎巻き寿司ととんかつ弁当を盛り付けました。どちらも良い出来栄えでした。味も最高!手前味噌ですが、、やはり料理長の調理技術は福山でNo1です!

『紙の碑に心を込めて~筆耕・池亀和子さん』

 生きていた証に一人一人、その名を原爆死没者名簿に書き記す。1985年から40年にわたり、広島で筆を執ってきた池亀和子さんが3日目に旅立ちました。ことし、病に倒れた池亀さんは入院先にも名簿を持ち込み、書き進めていたそうです。

「自分なりの供養」

 記帳にのぞむ心構えを、かつて、そんなふうに答えていました。篤実な人柄がしのばれます。連綿として続ける記帳の営みを、長崎では「筆耕」と呼んでいます。辞書には書写で生計を立てることとありますが、別の意味合いを込めているのでしょう。大地を田畑に変えるが農耕なら、「筆耕」は心の大地を平らかにすること。世を去った被爆者にすれば、魂を慰められる思いかもしれません。

 池亀さんは、約5万人の受け持った名簿で一度、筆先が震えたことがありました。2006年、分厚い一冊に<氏名不詳者 多数>とだけ記すよう広島市に任されたと言います。名も知れぬ犠牲者がいまだに数多い現実。7文字の背負う重みが、指先にのしかかったに違いありません。

 池上さんご自身も、3歳の時にガラス片が体に刺さった被爆者でした。一点一画に真心を込め、「紙の碑(いしぶみ)」を刻んできた、その人の名も来年の夏、原爆慰霊碑に納められます―――。