昨日までの事はもういい、今日からは・・・

 今日、店頭販売の受付をしていると、懐かしい人に出会いました。3年前まで同じ病院で勤務していた看護部長で、いまは私と同様に起業され、自身も訪問看護師としてばりばり勤務しながら、訪問看護ステーションを経営されています。開業当初はやはりご苦労が多かったようですが、今では引き合いも多く、事業も安定しつつあるとのことです。

 うららかな風の利用者様にも、訪問看護に入っていただいているのですが、利用者様も全幅の信頼を置いているようで、精神的な支えになっていただいております。

 病院時代は、お互いとてもしんどい思いをしてきた戦友のような関係でした。相談した訳ではないのですが、こうして二人とも経営者となったことは、因縁を感じざるを得ません。駆け出しの経営者で、色々な苦難が待ち受けていると思いますが、切磋琢磨していきましょう。お元気なお姿を拝見できて、とても嬉しかったです。

 今日の作業は、利用者様と特別メニューの「ハヤシライス」の盛り付けを行いました。昨日の「ガパオライス」同様に、今日のハヤシライスも、やばいぐらい美味しそうでした。お弁当の配達が終了すると、7月の誕生日会を行いました。誕生日を迎えられたのは長期欠席をされている利用者様でしたが、みんなでハッピーバースデーを歌う様子や利用者様一人一人からのメッセージを動画撮影して、LINEで送らせていただきました。プレッシャーに感じられたかもしれませんが、みんな、帰って来てくれることを楽しみにしていますよ。だって、私たちは仲間ですもの。その時が来るまで、いつまでも待っていますからね。

「もうアカン、これで私はもう死ぬんや 島田妙子」  

 父に風呂水に沈められた私は、そう思いました。小学校一年生から中学二年まで、私と二人の兄は、父と継母から毎日のように暴力をふるわれてきました。毎日のように暴力と暴言が続く中で、風呂水につけられた私は、『これで私が死んだら、こんな生活はもう終わる』と感じたのです。この時、すぐ上の兄が助けてくれたので、命は助かりましたが、その後も、私だけでなく、兄たちも何度も殺されそうになりました。もともと、とても優しかった父。再婚相手に気を遣うように、私たちにしつけと称して殴るようになってしまった父。一旦壊れた感情は、クセになっていってしまったのです。父は、私たちを殴ってしまった一発目のあと、謝ろうと思っていたそうです。でも、子どもに対してしてしまった理不尽な行動に情けなさ、惨めさを感じたそうです。そして『コイツらは、もう俺のことを鬼やと思っているはずや・・・』と自分の心に落とし込んでしまったそうです。謝るはずが、私たちと目があった瞬間、「なんやその目は」と、また手が出てしまったのです。

 散々暴力を受けながらも、私は「違う、何かの間違いや、お父ちゃんは悪い魔法にかかってるだけなんや、そう、いつか絶対に優しかったお父ちゃんに戻ってくれるはずや」といつも心に言い聞かせていました。だから、まわりの大人たちにも絶対に言わずに我慢をしてきました。ただ思春期に入った中学一年生の時には、私の感情もいっぱいいっぱいになり、「もうダメ、もう死にたい」と呟いたことがあります。

 そんな時、私の運命を変える出会いがありました。私は『大人なんて絶対に信用しない』と心に決めていたのですが、女性教師との出会いは、その後の私の人生や生き方までも変えてくれたのです。あだ名はマッハ先生。当時私たち兄弟は、ガリガリの栄養失調でアザだらけ。マッハ先生はすぐに「何かおかしい」と察してくださり、「親から暴力受けてるんやろ?」マッハ先生の力強い言葉に、私は思わず、「だ、大丈夫じゃない」と首を初めて横に振っていました。私の口が勝手に喋ったのです。その日に親を呼び出し、「今後もし暴力の形跡があったら私はすぐに警察に通報します。そしてこの子たちは帰しません」そう言ってくださいました。そして先生は、六年間暴力を振るい続けた親に救いの言葉を言いました。

お父さん、お母さん、あのね、昨日までの事はもういいです。昨日までのことは、もうどうでもいいです。だって戻れないから。だから今日からは頼みますよ

 この言葉、私もずっと使わせていただいております。人はやってはいけないことをしてしまうこともあります。そして自分の力では戻れなくなっていくのです。後悔と罪悪感を感じながらも、罪悪感の連鎖に苦しんでいきます。私は、その日長かった虐待の淵から抜け出すことができました。

『私もマッハ先生のような人になりたい!』

 父は、自殺を図り42歳という若さで空に昇ってしまいました。

『父のような人を助けたい』

 現在私は、「罪悪感解消プログラム」を使い、罪悪感に苦しむ方の心を助けたいと活動しています。そして、私をいつも支え助けてくれた兄は父の死んだ歳よりもまだ若い40歳という若さで、亡くなってしまいました。急性骨髄性白血病でした。兄は病床で私にこう言いました。

「お前は、自分が辛かった過去のことで、いま苦しんでいる人を助けていける人間やから、たくさんの大人の心を救っていくんやで」。

 この言葉の二週間後、兄は空に昇ってしまいました。「うん分かった!私は生きてる!動ける!何でもできる!もう二度と不平不満言わない!生きたかった人の分も私は生きていく。」そう誓いました。