ダウン症の周と共に生きる――詩人・服部剛

 弁当の配達の際、車載温度計を見ると、何と31℃と表示されていました。また、夕方、東の空を見ると入道雲がにょき、にょき‥。夏を感じる一日になりました。梅雨入りはまだですが、夏は到来したかのようです。

 今日は利用者様お二人とおにぎりセット、コロッケ弁当を作りました。二人ともうららかな風で一年以上の経験があります。どんな仕事も前向きに捉え、積極的に作業をしてくださる頼りになる存在です。今日も落ち着いておにぎりを握り、コロッケを盛り付けました。very good!明日もたくさんのご注文をいただいており、忙しい日になることでしょう。お二人の力を存分に発揮してください。

 厚生労働省は、2022年12月時点の障害(児)者数は1164万6000人、5年前の前回調査に比べて24・3%増えたとする推計を発表しました。障がい種別でみると前回は身体障がい者が最多でしたが、精神障がい者が56・6%増の614万8000人で最多となり、全体の5割強を占めています(『福祉新聞』から)。重複している方も含まれているかは不明ですが、日本の人口の1割、10人に一人が障がいを抱えているという実態、偏見や差別が解消されていない現実。障がい者はマイノリティ(社会的少数者)ではないということを、私たちは直視する必要があります。

『ダウン症の周と共に生きる――詩人・服部剛』

 当時、妻は43歳。高齢出産の不安はありましたが、カトリックの教えから、天の意志に沿わない「バースコントロール」、命の選別はしないと夫婦で決め、羊水検査などは受けませんでした。しかし、妊娠八か月頃、母子の健康状態が悪いと診断され、妻は緊急入院。あれよあれよという間に、帝王切開することになりました。

 病院から連絡を受けた私は職場を早退し、すべてを天に委ねる思いで病院へと向かいました。静まり返った病院の個室で、私は胸を高鳴らせながら歓びの知らせを待ちました。十五分ほど経った頃、トントンとノックする音が部屋に響き、ドアが開きました。「おめでとうございます! 無事生まれました。男の子です」と、看護師さんが笑顔で知らせてくれました。

 再び部屋に沈黙が訪れた次の瞬間、不安と安堵が理屈にならない感情の渦になって押し寄せ、気づくと私は全身を震わせ、涙が両目からどーっと流れていました。よかった、ありがとうございます……やっとの思いで看護師さんに伝えると、「奥様も生まれて間もない赤ちゃんに手を触れた時、感極まって泣いていましたよ」と教えてくれました。周よ、君の人生は、君の生まれた日は、パパとママの言葉にならない溢れる涙から始まったことを、いつまでも覚えておいてほしい。

 病院の先生から念のため遺伝子、染色体の検査を受けたほうがいいと勧められました。私は大丈夫だろうと楽天的でしたが、検査結果を待っている間、妻は不安な様子でした。検査から数週間後、医師は普通より一本多い染色体の写真を見せて、周がダウン症であることを私たちに告げました。その夜、妻は泣き崩れました。心から周を愛していたからこその涙だったのでしょう。    

 私も「大丈夫だ、大丈夫だ……」と繰り返し妻の肩を抱き締めながら、これは夢ではないかと目の前が真っ暗になりました。妻と一緒に自分まで落ち込んでいてはどうにもならない、私は告知を受けた翌朝、藁にも縋る思いで洗礼の代父となってくれた先生に電話をしました。すると先生はこう言ってくださったのです。

「周君の普通より一本多い染色体には、もしかしたら、人間には計り知れない天の望み、願いが込められているのかもしれません」

 周の一本多い染色体には天の願いが込められている─先生との電話を終え、一人部屋の中で沈黙した後、私は天に向かって「ありのままの周を、確かにこの両手に受け取りました!」と心の中で叫んでいました。先生の言葉によって、私はダウン症を持って生まれた周を受け入れることができたのです。まるで心に希望が芽生えたようでした。この時の体験を綴った詩が『天の賜物』です。

 小児科の医師は 私達の前で紙を引っくり返し

 周の染色体の写真を見せた

「正常よりも一本多いです」  二人で溢れる涙を流した 

 翌朝 僕は恩師に電話をした

「その一本の染色体に 天の息吹がこもっています」

「これから僕と嫁さんで 周が授かった賜物を探します」

 携帯電話のスイッチを押した後

  周の命そのものを信じよう…という

 今迄とは何か違う 不思議な歓びが胸の内に広がった