憎悪は憎悪ではなく、慈悲によって消え去る

 うららかな風に出勤する際、まん丸で、とてもきれいな、とても美しいお月さまを見ることができました。夜明けまでは早く、寝静まった早朝の静謐の中で、お月さまを独り占めしたような気持になり、少しうれしくなりました。

 今日は利用者様お二人と穴子の巻き寿司を作りました。お一人は巻き寿司に初挑戦。はじめはサポートを受けながら、ぎこちない手つきでしたが、2本、3本‥と数をこなすごとに上手に巻けるようになりました。Verry Good! 残念なのは今日が巻き寿司の最終日。来月も予定がありません。これからも初めて挑戦することに遭遇します。最初は誰でも上手くいかないもの。今日のように少しずつ上達していけば良いのです。臆せず、色々なことに挑戦していきましょう。

 昭和26年、日本はサンフランシスコ講和条約によって主権を取り戻しました。終戦から約6年間、GHQの占領下に置かれた日本は、米国の思想統制で徹底的に贖罪意識を植えつけられていました。

 昭和30年にインドネシアで開かれたアジア・アフリカ会議においても、その後遺症の影響は顕著でした。国際会議に出ようものなら袋叩きに遭うだろうと恐れた日本側は、代表を派遣することを躊躇し、会議当日もぎりぎりまで会場に足を踏み入れようとしなかったのです(子どもじみていますが…)。ところが日本代表が会場に入ると、会場を埋めた各国代表がスタンディングオベーションで迎えられたのです。日本が戦争を行ったことで、傷ついた人々がいたことは事実です。一方で、日本が米英を相手に立ち上がったことで、アジアの国々が独立を果たせたと考え、日本に感謝の思いを抱く国も多くあったことを、この歴史の一場面は物語っています。

 サンフランシスコ講和会議は、連合国側の思惑が錯綜する中、ソ連が日本の分割統治を要求するなど、日本に対していかなる制裁措置を取るかで議論は紛糾していました。そんな中、会議の流れを一変させる演説が行われたのです。日本を分割占領から救った、スリランカ代表・ジャヤワルダナ氏の「愛の演説」でした―――。

「憎悪は憎悪によって消え去るものではなく、ただ慈悲によって消え去るものである」

 仏陀の言葉を引用して国家間の礼節と寛容を説いた上で、次のように言葉を続けたのです。

「アジアの諸国民が日本は自由でなければならないということに関心をもっているのは何故でありましょうか。それは日本とわれわれの長年の関係のためであり、そしてまた、アジアの諸国民の中で日本だけが強力で自由であり、日本を保護者にして盟友として見上げていた時に、アジアの諸国民が日本に対して抱いていた高い尊敬のためであります」

 長年西洋諸国に虐げられてきたアジアの民にとって、日露戦争で大国ロシアを破り独立を守った日本は希望の星でした。そしてジャヤワルダナ氏は、スリランカが一切の対日賠償請求権を放棄することを明言したのです。

 演説が終わると、賞賛の声の嵐で会場の窓ガラスが割れるほどだったそうです。これによって日本は特別な制裁を受けることなく、今日の平和を享受することができたのです。