心はいつも一緒だよ

 出鼻をくじくように雨の朝になりました。今年の春はすっきりした晴れが長続きしませんね。晴れた日が数日続くと、雨が同じように数日続きます。雨や曇天の日は多くの利用者様が頭痛やメンタルの不調等でしんどい思いをされます。苦しそうな様子を見ると私たちも胸が苦しくなります。どうか明日は真っ青な青空を見せてください。

 弁当配達を終えると、5月の献立表を携えて急ぎ市内へ向かい、ポスティングや飛び込み営業を行いました。ご縁のない会社様にお弁当のご注文を頂くためには、やはり一度では信頼頂けません。何度も足を運んでまずは顔馴染みになること。それでもご注文を頂く機会は訪れないこともあります。しかし、過去には毎月献立表をお届けして、1年後にご注文を頂いたことがありました。その時は、小躍りしたくなるほどうれしくて‥。そのお客様には今もご注文を頂戴しております。一期一会。頂いたご縁を繋いでいくためには、決して手を抜かず、決して妥協せず、目の前の弁当一つ一つに全身全霊を傾けてお作りするのみ。

 料理長が練りに練って作った渾身の5月の献立表をぜひご覧ください。

 5月12日は母の日ですね。年齢、国籍、職業、生活環境などまったく異なる境遇にある子どもたちを、一つの教室で指導されてこられた元夜間中学校教諭の松崎運之助さん。山田洋次監督の映画『学校』のモデルになったことでも有名です。松崎さんの原点となった幼き日のお母様とのエピソードを紹介します。

 私は両親が満州から引き揚げてくる混乱のなかで生まれました。小さかった兄は、私が母のお腹にいる時、逃避行を続ける最中で息絶えたといいます。失意のどん底に叩きつけられた母は、泣き明かした後、「いま息づいているこの命だけは何があっても産み出そう」と誓い、私を産んでくれたのです。私は誕生日が来る度に、母からこの話を聞かせられました。

「あんたが生まれたのはこういうところで、その時、小さな子どもたちがたくさん死んでいった。その子たちはおやつも口にしたことがない、おもちゃを手にしたこともないんだよ。あんたはその子たちのお余りをもらって、やっと生き延びられたんだ。あんたの命の後ろには、無念の思いで死んでいった人たちのたくさんの命が繋がっている。そのことは決して忘れちゃいけないのよ」

 一家は長崎へ移り住みましたが、結局父親は外に女をつくり、母とは離婚。父は家を売り払って、そのお金を元手に女の人と新しい生活を始めました。無一文になった母は、小さな子ども3人を抱え、市内を流れるどぶ川の岸辺にある、吹けば飛ぶようなバラックに移り住みました。すぐにお金が必要ですから、母は男の人に交じってなれない力仕事を始めました。疲れて帰ってくるので、すぐに横になって寝てしまう。それが子ども心にどれだけ寂しかったことか。一日中帰りを待ちわびて、話したいこと、聞いてもらいたいことが山ほどある。弟や妹は保育園で覚えた歌や踊りを見てもらいたいのです。

 そこで私は考えました。弟と妹の手を握り締め、橋の上で母の帰りを待つことにしたのです。やがて橋の向こうから小さな母が姿を現すと、3人は歓声を上げて転がるように走っていきました。あのね、あのね……。同時に喋る私たちの話を上手に交通整理をしながら、母はまっすぐ家には帰らず、近くの石段を登って、眺めのいいところへ連れて行ってくれました。母が真ん中に座り、子どもたちがそれに寄り添う。眼下に広がる長崎の夜景を見ながら、私たちきょうだいがひとしきり話し終えると、母が少しだけ自分の話をしてくれました。

 朝早くから夜遅くまで働いていたので、母はほとんど家にいませんでしたが、心はいつも一緒でした。物はない、金はない、町の人や学校の先生からは臭いだの汚いだの言われていましたが、母と子の間にはいつも真っ青な青空が広がっていました。