Forget me not(私を忘れないで)

 今日、4月18日の誕生花は勿忘草(わすれなぐさ)です。英語名は「Forget me not」。花言葉はその名のとおり、私を忘れないで。ヨーロッパ原産で春から夏にかけてかわいらしい青色の花をつけます。それにしてもネーミングセンスが抜群ですね。

 3月末にうららかな風を卒業され、一般就労されたばかりの利用者様ですが、上手くいかず今週からうららかな風に戻って来られました。彼女にとって今の段階での一般就労は少しハードルが高かったのだ思います。でも、頑張りました。

「うららかな風にいる時が落ち着く‥」

 利用を再開する前に彼女が吐露した言葉です。常日頃から私は「うららかな風は、みなさんがしんどいと感じた時、苦しいと思った時の止まり木であり、行き場がなくなった感じた時のかけ込み寺です。卒業したから、さようならではなく、卒業していても苦しい、しんどい時はどうかうららかな風を思い出してください。帰りたくなったら、いつだって皆さんを迎え入れます。だから恥ずかしいからと思わないでください。羽ばたいていっても、羽を休ませたくなったら立ち寄ってください。いつでも、そして何度でも‥。」と。私たちはいつだってあたたかくお迎えしますから。そう!勿忘草の花言葉、「Forget me not」です。

「どこまで人を許せるか」(塩見志満子)を紹介します―――。

 長男が白血病のために小学二年生で亡くなりましたので、四人兄弟姉妹の末っ子の二男が三年生になった時、私たちは「ああこの子は大丈夫じゃ。お兄ちゃんのように死んだりはしない」と喜んでいたんです。

 ところが、その二男もその年の夏にプールの時間に沈んで亡くなってしまった。近くの高校に勤めていた私のもとに「はよう来てください」と連絡があって、タクシーで駆けつけたらもう亡くなっていました。子供たちが集まってきて「ごめんよ、おばちゃん、ごめんよ」と。「どうしたんや」と聞いたら十分の休み時間に誰かに背中を押されてコンクリートに頭をぶつけて、沈んでしまったと話してくれました。母親は馬鹿ですね。「押したのは誰だ。犯人を見つけるまでは、学校も友達も絶対に許さんぞ」という怒りが込み上げてくるんです。新聞社が来て、テレビ局が来て大騒ぎになった時、同じく高校の教師だった主人が大泣きしながら駆けつけてきました。そして、私を裏の倉庫に連れていって、こう話したんです。「これは辛く悲しいことや。だけど見方を変えてみろ。犯人を見つけたら、その子の両親はこれから、過ちとはいえ自分の子は友達を殺してしまった、という罪を背負って生きてかないかん。わしらは死んだ子をいつかは忘れることがあるけん、わしら二人が我慢しようや。うちの子が心臓麻痺で死んだことにして、校医の先生に心臓麻痺で死んだという診断書さえ書いてもろうたら、学校も友達も許してやれるやないか。そうしようや。そうしようや」

 私はビックリしてしもうて、この人は何を言うんやろかと。だけど、主人が何度も強くそう言うものだから、仕方がないと思いました。それで許したんです。友達も学校も……。でも、いま考えたらお父さんの言う通りでした。争うてお金をもろうたり、裁判して勝ってそれが何になる……。許してあげてよかったなぁと思うのは、命日の七月二日に墓前に花がない年が一年もないんです。三十年も前の話なのに、毎年友達が花を手向けてタワシで墓を磨いてくれている。もし、私があの時学校を訴えていたら、お金はもらえてもこんな優しい人を育てることはできなかった。心からそう思います。