成功は天が与えた『試練』

 5月の献立表を作る時期になりました。どんなメニューが良いか…頭が痛い日々になります。ところで8月から販売をはじめたベーグルですが、ひと頃はたくさんのご注文を頂いておりましたが、今はピークアウトしたようで注文数が落ち着いてきました。考えられる理由は、マンネリ、サンドの内容、値上げなどが考えられます。販売を継続していけば、必ずこうした壁に当たります。致し方ないことです。その時、どうやって乗り越えるのかが私たちに求められています。これでもか、これでもかとブラッシュアップし続けることも一つでしょうし、代わる新メニューを開発していくことも一つでしょう。いずれにしても同じことをしていては進歩がありません。何らかのテコ入れが必要な時期になったのは間違いありません。

 いま述べたことを頭の中で整理しておりますと、故・稲盛和夫氏の言葉が浮かんできました―――

 私は、「試練」とは、一般的にいわれる苦難のことだけを指すのではないと考えています。人間にとって、成功さえも試練なのです。例えば、仕事で大成功を収め、地位や名声、財産を獲得したとします。人はそれを見て、「なんと素晴らしい人生だろう」とうらやむことでしょう。ところが実は、それさえも天が与えた厳しい「試練」なのです。成功した結果、地位に驕り、名声に酔い、財に溺れ、努力を怠るようになっていくのか、それとも成功を糧に、さらに気高い目標を掲げ、謙虚に努力を重ねていくのかによって、その後の人生は、天と地ほどに変わってしまうのです。

 つまり、天は成功という「試練」を人に与えることによって、その人を試しているのです。いわば人生は、大小様々な苦難や成功の連続であり、そのいずれもが「試練」なのです。そして、私たちの人生は、その人生で織りなす「試練」を、どのように受け止めるかによって大きく変貌していくのです。

 私たちは、苦難あるいは僥倖(ぎょうこう)、そのいずれの「試練」に遭遇しても、決して自らを見失わないようにしなければなりません。つまり、苦難に対しては真正面から立ち向かい、さらに精進を積む。また成功に対しては謙虚にして驕(おご)らず、さらに真摯に努力を重ねる。そのように日々たゆまぬ研鑽に励むことによってのみ、人間は大きく成長していくことができるのです。