土井中尉の心眼

 今日も弁当作りを終えて、利用者様と水呑町~田尻~鞆~沼隈のお客様のもとへお弁当を配達しました。鞆の鉄工団地内にあるお客様ですが、いつもあたたかく笑顔で迎えてくださいます。玄関に入ると、直にその優しい雰囲気を感じ取ることができます。その上、利用者様に飴をくださるんです。利用者様への偏見や差別の意識など微塵も感じさせない会社風土を作られている社長様、そして従業員様には心から感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございます。

 沼隈町のお客様はぶどう農家様で、繁忙期のみとなりますが今週からご利用いただいております。実は利用開始前のこと、沼隈町にはお客様がおられず、その方一軒のみのお届けとなるためお受けするかどうか逡巡しましたが、直接お顔を拝見すると気持ちが揺らぎ、鶴のひと声(戌年なので犬の遠吠え‥)で配達させていただくことになりました。一所懸命に作らせていただきます。

  土井中尉の話を紹介しましょう―――

 昭和16年の安慶の攻略戦の際、敵の地雷で5人の部下が即死。助かったのは土井敏春中尉1人だけ。両足と片腕を吹き飛ばされ、爆風で脳、眼、耳が完全にやられてしまった。あまりの苦しさに舌を噛み切って自害するといわれますが、土井中尉は上下の歯もガタガタで死ぬに死ねません。どこにいて、何をしているのかもわからない。声だけは出るものですから、病院に担ぎこまれても、ただ怒鳴り散らすばかり。怒鳴るだけしかできず、介護に反発しますから、病院中のだれにも嫌われてしまった。それで内地送還になり、箱根の療養所に落ち着くのです。

 息子が帰ってきたという知らせに母は娘と夫の弟を連れて、箱根に駆けつけると、廊下の向こうから「わぁー」という訳のわからない怒鳴り声が聞こえます。その声は、自分の息子らしい。たまらなくなり、その怒鳴り声をたどって足早に病室に飛び込むと、手足を取られ、包帯の中から口だけがのぞいている“物体”。息子の影すらありません。声だけが息子。「あぁー」と母は息子に飛び付いて、「敏春、敏春」と叫びましたが、耳も目も聞こえない息子には通じません。それどころか、「うるさい、何するんだ」。残された片腕で母を払いのけようともがくのです。何度呼んでも、体を揺すっても暴れるだけ。妹さんが「兄さん!兄さん!」と抱きついても、叔父さんがやっても全然答えません。

 やがて、面会の時間を過ぎましたがお母さんは帰ろうとしません。するとベッドに椅子を近寄せて、その上に乗るや、もろ肌脱いでお乳を出し、それを土井中尉の顔の包帯の裂け目から出ているその口へ、「敏春」といって押しあてたのです。その瞬間どうでしょう。それまで、訳のわからないことを怒鳴っていた土井中尉は、突然、ワーッと大声で泣き出してしまった。そして、その残された右腕の人差し指でしきりに母親の顔を撫で回して「お母さん、お母さんだなあ、お母さん、ぼくは家に帰ってきたんか。家に帰ってきたんか」と、むしゃぶりついて離さない。母はもう口から出る言葉もありません。

 母と別れた土井中尉はそれからぴたりと怒鳴ることをやめてしまいました。翌朝、彼は静かにいいました。「ぼくは勝手なことばかりいって、申し訳なかった。これからは歌を作りたい。すまないが、それを書きとどめていただけますか」

【見えざれば、母上の顔なでてみぬ頬やわらかに 笑みていませる】

 土井中尉の心の眼には母親の顔は菩薩さまのように映ったに違いありません。