黒四にかけた社長の思い
さあ、3月になりました。多くの皆さんが待ちわびていた季節の到来です。うららかな風は3月の献立表に切り替わりました。本日の日替わり弁当は、春を祝うべくスペシャルメニューでした。ちなみに、色鮮やかなちらし寿司と主菜は手作りのクリームコロッケ。前回コロッケで揚げ物を担当し味を占めた私は、(望まれてもいないのに)再びクリームコロッケを揚げさせてもらいました。我ながら良い揚げ色だったと自負しております。それにしても料理長が様々な調理を同時並行で進めていく姿を見ると、さすがのひと言です。私は一つのことこなすのだけで精一杯、修行が足りません。
こんなメッセージを頂きました。うれしくてなりません。もっと、おいしいと言っていただけるよう精進することを誓います!
石原裕次郎が主演した映画「黒部の太陽」をご覧になった方もおられるでしょう。その題材となった黒部ダム建設工事で陣頭指揮を執った関西電力社長の言葉を紹介しましょう。
黒部ダムの一つ、通称「黒四(くろよん)」は、富山県立山町を流れる黒部川に建設された水力発電専用のダムです。発足したばかりの関西電力の社長・太田垣士郎氏の指揮の下、8年の歳月をかけて完成しました。
黒四は人跡未踏の地に一大ダムを建設しようとする試みでした。北アルプスの奥地の黒部峡谷は高度な技術を持つベテラン登山家以外に、足を踏み入れたことのない秘境。それはまさに想像を絶するほど過酷な現場でした。戦前にもその構想はありましたが、工事の難しさと費用が膨大に上ることから着工の目処も立たず、とりわけ懸案になっていたのが、奥地にある建設現場へ大量の建設資材をいかに運び込むか…。北アルプスの真下にトンネルを掘り、ダム建設現場まで一気に結んでしまおうという提案が上がり、太田垣社長はそれに懸けることにしました。
リスクの大きさに反発する役員会で太田垣社長は「経営者が10割の自信をもって取りかかる事業。そんなものは仕事のうちには入らない。7割成功の見通しがあったら勇断をもって実行する。そうでなければ本当の事業はやれるものじゃない。黒部はぜひとも開発しなきゃならん山だ!」。
171人という多くの犠牲者を出しながらも完成した黒四は電力供給を始め、日本の経済成長を支えました。