敢えて困難な道を選ぶ

 広島県公立高校の入学試験が始まりました。受験生も、受験生を支えるご家族、学校の先生も相当なストレスのかかる日を送っておられることでしょう。寒い冬の後には必ず暖かい春がやって来ます。足音は聞こえています。もうすぐです。

 私は岡山県の私立高校に進学しました。岡山県の高校でしたが、9割以上の生徒が県外出身で、ほとんどの生徒が学校にほど近い寮に入っておりました。この寮が本当に「しわい」。部屋は4人部屋で、学年も混在。まるで軍隊のような生活(寮監も元自衛隊員)で、朝6時に起床しラジオ体操から始まります。授業は70分一コマで公立高校よりも授業時間は長く、また学校が終わり寮に帰宅してからも23時までは自習時間で、ベッドに横になることも、自由にテレビや音楽を視聴することも許されませんでした。おまけに髪型は丸刈りと校則で決められており、長くなると寮監からバリカンで刈るよう教育的指導を受けることになります。

 高校時代一番ストレスフルだったのは成績発表で、廊下にトップから最下位までフルネームで張り出されましたし、仮に赤点を2回取ってしまうと有無を言わさず留年になるという過酷な制度もありました。昨日まで上級生だった先輩が、今日は同じ教室で机を並べて授業を受けることもざらにありました。とにかく35年以上も昔のことで、何でもありの時代でした。いまそんな学校があれば、間違いなく週刊誌にたたかれてしまうでしょう。

 しかし逃げ出すわけにもいきません。親から行けと言われた訳でもなく、あくまで自分自身が厳しい環境に身を置いて学びを深めたいとの強い思で学校を決めたのです。また私立は学費高く、おまけに寮費もかかる訳ですから親の出費は相当であり、当時の私には逃げ出すという選択肢はありませんでした。でも苦しかった、しんどかったのは間違いありません。

 高校の3年間、順風満帆だったか―――それは、否。入学当初はひどいホームシックにもなりましたし、学校から親が呼び出されるような大失態もありました。それでもいまは懐かしく、あの時の過酷すぎる高校生活があったからこそ、どんなしんどい状況に遭ってもめげることなく、前に進もうとする精神力を築くことができたのだと思っています。

 そして、何より金銭面だけでなく、挫折寸前の時に献身的に支援してくれた両親に心から感謝しています。