今を大切に! いのちのあるこの場を大切に!
10月21日、私の母が三原市内の急性期病院に入院しました。尿管結石が引き金となって腎盂腎炎を発症。腎盂腎炎が落ち着けば尾道の病院に転院して結石の手術をする予定‥だったのですが、治療は進まず全身状態が悪化、食事もままならず、ベッド上での寝たきり生活を余儀なくされています。また認知症も階段を上るように進行しました。
一昨日、娘を連れて面会に行きました。許されているのは、一日の面会者は2名、面会時間はたった10分だけです。母に会うと目をつむったまま覇気がありません。
「娘も来たよ」と伝えると、その目がぱっと開き、「よう来てくれたね。ありがとう。ありがとう。」と生気を取り戻し、表情も一変しました。入院する前、母がまだ元気だったとき、娘のことを案じてくれ、何度も何度も電話をかけてくれていました。それが、こんなに弱々しくなるなんて。
汚れていた眼鏡を拭き、目薬を差し、お茶を飲ませ、布団をかけなおし、他愛のない話をしているとあっという間に10分が経過。帰る時間になり「さみしい、まだ逝きとうない」と涙を流す母。
「お父さんに呼ばれても逝ったらいけんよ。」と伝え、後ろ髪を引かれましたが、娘の手を引っぱるようにして病室から出ました。
死に至る病気でなくても、高齢者にとってはそれが引き金になり、乗り越えられないことがあります。もう一度、正月にわが家に呼んで一緒に過ごしたい、大好きなあの年越しそばを一緒に食べよう‥その日が迎えられることを心から願うばかりです。
さて、うららかな風は11月から「わっぱ風弁当箱」から「使い捨て容器」に変更しました。多くの方から、なぜわっぱ弁当箱をやめたの?とご質問をいただきました。
使い捨て容器はエコに反するのでは‥。
容器そのものだけを考えればそう思われる方も多いでしょう。一方、お弁当箱の回収には車が必要です。多くのガソリンを使うことになります。(参考ですが、私は送迎、配達、回収で、一日150㌔以上運転しています。)
回収した弁当箱を洗浄するには、たくさんの水、ガス、電気、洗剤を使います。丁寧かつ慎重に洗浄してはいますが、汚れなどが100%取り除けているのか‥というリスクを常に抱えております。一度でも食中毒が発生すれば事業を持続できなくなります。色々なことを総合的に判断して、使い捨て容器の方がベストであると判断したのです。
変更する前は、惜しむ声もありましたが、使用している使い捨て容器がとっても映えて、「いまの方がいい❤」との声も聞きました。ありがとうございます。しばらくは、この使い捨て容器を使用していきたいと思います。独りよがりにならないためにも、皆様からの率直なご感想をぜひお聞かせください。お待ちしております。
「病院の外に健康な日を三日ください~大島みち子さん」
顔の軟骨が腐るという難病にかかった大島みち子さんは、高等学校を五年かかって卒業し、京都の同志社大学に入学した。しかし、病気が再発し、長い病院生活が始まった。その間に、ある大学生と知り合いになり、互いに手紙を取り交わす間柄になったが、とうとう2人は一緒になれずに、短い生涯を病院のベッドのうえで閉じていった(享年21歳)。
その大島みち子さんが書き残した日記を集めたのが「若きいのちの日記」。
その日記の中から…
「病院の外に健康な日を三日ください。一週間とは欲ばりません、ただの三日でよろしいから病院の外に健康な日がいただきたい」
「一日目、私はとんで故郷に帰りましょう。そして、お爺ちゃんの肩をたたいてあげたい。母と台所に立ちましょう。父に熱燗を一本つけて、おいしいサラダを作って、楽しい食卓を囲みましょう。 そのことのために一日がいただきたい」
「二日目、私はとんであなたのところへ行きたい。あなたと遊びたいなんていいません。お部屋のお掃除をしてあげて、ワイシャツにアイロンをかけてあげて、おいしい料理を作ってあげたいの。そのかわりお別れの時、優しくキスしてね」
「三日目、私は一人ぽっちで思い出と遊びましょう。そして、静かに一日が過ぎたら、三日間の健康をありがとうと、笑って永遠の眠りにつくでしょう」
いのちのあることの重大さ、死すべきいのちの今あることの尊さを、「今」を大切にする、いのちのある「この場を」大切にする。わが家の庭木が元気をなくしてしまいました。この前まで青々した枝葉は力強い姿を見せていました。観察してみると、根っこが完全にいたんでいました。あたりまえのことですが、根によって生きていることを忘れていたのです。
「其の本を務めよ」
目に見えない地下茎のことなど、森の木も、花々も、私たちもみな、根によって生かされて生きていることを忘れてはならないのです。