あとから来る者のために~坂村真民
6月の電気代の請求書が届いたのですが、国の補助補助がなくなったこと、暑くなりエアコンを使う日が増えたこともあり、5月に比べ1万円程度高くなりました。国の補助は8月から再開されるようですが、自衛策としてはやはり節電に取り組まなければならないでしょう。不要な電気はこまめに消すこと。塵も積もれば何とやらです!
今日は利用者様とシーフードカレーの盛り付けを行いました。ご飯、福神漬け、ルーとタイムスケジュール通り、スムーズに盛付が進みましたね。はじめてカレーを担当され、戸惑われていましたが、基本に忠実にさえすれば上手く盛り付けることができます。数をこなすごとに、見違えて上手になりました!私からは言うことは一つ、今日の業務を頭の中で思い返し、復習しておいてください。また近いうちにお願いすることになるでしょう。
ちなみにお味の報は・・・イカやエビあさりからの旨味がルーに溶け込んでおり、何とも奥深い良い味わいでした。ただ欲を言えば、シーフードがごろごろしていれば申し分なかったように思います。これは来月以降の宿題です。
坂村真民の「あとから来る者のために」という素晴らしい詩をご存じでしょうか―――。
あとから来る者のために 田畑を耕し 種を用意しておくのだ
山を 川を 海を きれいにしておくのだ
あとから来る者のために 苦労をし 我慢をし みなそれぞれの力を傾けるのだ
あとからあとから続いてくる あの可愛い者たちのために
みなそれぞれ自分にできる なにかをしてゆくのだ
この詩は、東日本大震災の後、この詩は被災地の方々や復興事業に携わる人たちの「想いを共有する詩」として各地で使われました。またコロナ禍で、これからの生き方を真剣に考える人達が、「生き方を示す詩」として再びこの詩が使われました。さらに、最近では、「SDGs」を分かりやすく表現する詩として大学や企業等で使われるようになりました。
この詩のとおり、あとから来る人たちが少しでも幸せに安らかに生きられるように、役に立てることを黙って静かにしてあげられたらいいなというのが、いまの私の気持ちです。人の命というのは与えられたものであり、循環するものだと思います。ですから、自分が何か悪事を働いたら、それは必ず巡り巡って、自分や周囲の人たちに返ってくる。
小さいころから「お天道様が見ていますよ」と躾けられて、もうそれが身についていますから、悪いことはできません。逆に自分が何か人に喜ばれることをすれば、それもまたいつか返ってきますし、少しずつ世の中はよくなっていくはずです。
自分には使命なんかないというのが、多くの人の考えのような気がしますが、責任を持つことで使命感が生まれるのだと思います。自分のためではなく、誰かの役に立てる、誰かが喜んでくださる、そういう気持ちを抱いた時、自分の持っている力以上のものを発揮できるのではないかと思っています。