賢さより人間性と優しさ
昨日と今日は飛び込み営業で多くの会社様等にお伺いしました。既存の配達ルートにある工業団地内の会社様をまわったのですが、他にお願いしている‥とのことでなかなか献立表をお渡しすることができませんでした。恐らく私の営業がへたくそ過ぎたのでしょう。それでも何とか新しいご縁を頂けるよう、場所を変えながらたくさんの会社様に献立表をお配りし、手持ちのものがなくなるまで奔走しました。ゴールデンウィークに入るため、タイミングとしては難しい時期ですが、何もせずにはいられません。とにかく足を運び、知っていただく努力を続けていきます。明日も時間を作って、営業に走りたいと思います。
ウクライナ戦争、イスラエルによるガザやイランとの紛争、中国・台湾の問題、北朝鮮の長距離ミサイルによる威嚇。世界の至る所で火種があり、いつ第3次世界大戦が始まってもおかしくない時代になりました。それにしても過去の教訓を学ばない私たち人間は、どれほどまでに愚かなのでしょうか。
20世紀最大の映画監督であり、喜劇俳優であるチャールズ・チャップリン。映画『独裁者』で、独裁者ヒンケル(ヒットラーを風刺)と瓜二つの顔をしていたために間違われた床屋(チャップリン)が兵士たちの前で演説するラストシーンはチャップリン自身によって書かれたもので、映画史上もっとも感動的なスピーチであり、今こそ、その言葉を思い起こし全世界がひとつにならなければならない時です。
『申し訳ないが、私は皇帝にはなりたくない。それは、私の仕事ではない。私は、誰も、支配したり、征服したりしたくない。私は、できることなら、ユダヤ人、ユダヤ人以外の人々、黒人、白人、あらゆる人々を助けたい。我々は、互いに助け合わなければならない。人間というのはそのようなものだ。人間は、互いの悲惨さではなく、互いの幸福をよりどころとして生きることを望むのだ。憎んだり、軽蔑したりすることを望んでいない。この世界には、すべての人を受け入れる余地があるのだ。大地は豊かで、すべての人に衣食を与えることができる。人生は自由で、美しいものであるはずだ。しかし、その道を失った。どん欲が人間の魂を汚し、憎しみで世界を囲い、我々を悲惨と流血のまっただ中に行進させた。我々は、スピードを出す技術を開発したが、自分達を閉じこめてしまった。我々に富を与えてくれるはずの機械は不足をもたらした。
我々は知識を得たが、懐疑的な人間になった。賢くはなったが、気むずかしい、不親切な人間となった。考えすぎるあまり、何も感じなくなった。機械より人間性が必要なのだ。賢さより人間性と優しさが必要なのだ。利口さよりは親切とやさしさを必要としているのだ。これらのものがなければ、人生は、暴力的になり、すべてが失われる。飛行機やラジオは、私たちをより近づけた。これらの発明品の精神そのものを生かすには、人間の善良さが必要であり、人類の統一のために、普遍的友愛が必要なのだ。私の声は、世界じゅうの数百万の人々、絶望している男女、幼い子供達、人々を拷問し、罪なき人々を投獄している組織(ナチス・ドイツ)の犠牲者たちに届いているのだ。私の声が届く人々に言おう。「絶望するな。私たちに、今、降りかかっている悲惨というものは、独裁者達の一時の仕業にすぎない。人間の進歩を恐れる彼等の憎しみにすぎない。やがて死ぬ人間の憎悪にすぎない。独裁者達はいつか死ぬ。彼らが人々から奪った権力は、人々に戻るのだ。独裁者達が死ぬかぎり、自由は決して滅びないであろう」』