ぼくのむねの中に

お弁当作りに明け暮れた一週間になりました。たくさんの方にうららかな風のお弁当を選んでいただき、これ以上ありがたいことはありません。感謝、感謝‥です。

私は毎朝送迎に出かけますので、なかなか職員さんに私の考えや思いを伝えることができないため、書置きを残すようにしています。本日の書置きを紹介させてください。

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職員の皆さんの利用者様に対する言動について気になることがありました。●●様への注意や指導が厳しいように感じます。その方の障がいの個性は、みなさんも理解しており、しかも利用開始されて6か月余りが経ち、時間の共有も十分ありますので、彼女の良いところ、直して欲しいところなどはスタッフ共通の理解ができています。

彼女の個性は‥

注意しても繰り返す(他者が行っている仕事への介入、横柄で見下したような言動)…それが彼女の克服しがたい個性です。治ることはないでしょう。

いま一度、うららかな風の役割を考えてください。彼女に限りませんが、利用者様はなぜ一般就労ではなく、就労継続支援B型に来られているのでしょうか。残念ながら一般就労に適応できなかったからです。そうした方が笑顔で穏やかに仕事ができる「最後の砦(とりで)」、それがうららかな風だと思っています。

みなさんにお願いしたいのは、利用者様の母親や父親にはなれませんが、その方、その方の歩んで来られた、決して平たんではなかったであろう人生を想像しつつ、母親や父親のように愛情を注いであげてください。愛情を注いだからといって言動が変容することはありませんが、温かい思いが伝わり、心穏やかに仕事を続けることができればそれで良いと私は思っています。

さて、小学校一年生の浦島君の作文を紹介します。ご一読いただき、心の感度を高めてください。

【ぼくのむねの中に】

「おかあさん、おかあさん」。

ぼくがいくらよんでもへんじをしてくれないのです。あのやさしいおかあさんは、もうぼくのそばにはいないのです。きょねんの12月8日に、かまくらのびょういんで、ながいびょうきでなくなったのです。いまぼくは、たのしみにしていた しょうがく1ねんせいになり、まい日げんきにがっこうにかよっています。あたらしいようふく、ぼうし、ランドセル、くつで、りっぱな1ねんせいを、おかあさんにみせたいとおもいます。

ぼくはあかんぼうのとき、おとうさんをなくしたので、きょうだいもなく、おかあさんとふたりきりでした。そのおかあさんまでが、ぼくだけひとりおいて、おとうさんのいるおはかへいってしまったのです。いまは、おじさんおばさんのうちにいます。まい日がっこうへいくまえに、おかあさんのいるぶつだんにむかって、「いってまいります」をするので、おかあさんがすぐそばにいるようなきがします。べんきょうをよくしておりこうになり、おとうさんおかあさんによろこんでもらえるようなよいこになります。

でも、がっこうでせんせいが、おとうさんおかあさんのおはなしをなさると、ぼくはさびしくってたまりません。でも、ぼくにもおかあさんはあります。いつもぼくのむねの中にいて、ぼくのことをみています。

ぼくのだいすきなおかあちゃんは、おとなりのミイぼうちゃんや、ヨッちゃんのおかあさんより、1ばん、1ばんよいおかあさんだとおもいます。おかあさん、ぼくはりっぱなひとになりますから、いつまでもいつまでも、ぼくのむねの中からどっこへもいかずにみていてください。