9月の献立表について(お詫び)

 まずは皆さまにお詫びしなければなりません。過日お配りした9月のおすすめ(表紙イラスト)と献立表(A3サイズ)の特別メニューの日にちが食い違っている箇所がございました。正しくは以下のとおりとなります。修正した献立表を順次配布させていただいております。今回の献立表にてご注文いただければ大変ありがたく存じます。
 皆様にはご迷惑をお掛けしますことを、心よりお詫び申し上げます。これに懲りず、引き続きご愛顧賜りますよう、伏してお願い申し上げます。

<正>
9月13日(金)鮭バター醤油炊き込みご飯
9月27日(金)きのこのクリームオムライス

<誤>
9月13日(金)きのこのクリームオムライス
9月27日(金)鮭バター醤油炊き込みご飯 

『映画・ラーゲリより愛を込めて~山本幡男はなぜ生きる希望を失わなかったのか』

「最後に勝つものは道義であり、誠であり、まごころである」

 山本幡男さんの遺書に綴られていた言葉です。映画『ラーゲリより愛を込めて』。俳優・二宮和也氏が実在の人物・山本幡男を演じて話題を集めた本作は、興行収入26億円、観客動員200万人を突破する大ヒットを記録しました。

 第二次世界大戦の終戦後、約60万人の日本人が抑留されたとされるシベリアのラーゲリ。氷点下40度の極寒、乏しい食糧、過酷な強制労働……。多くの俘虜が生きる望みを失う中、「ダモイ(帰国)の日は必ず来る」と絶望の淵にある仲間を励まし続けた人物、それが山本幡男でした。

 そもそも、終戦後に多くの日本人が抑留されたラーゲリとは一体どのような施設だったのでしょうか。1945年8月15日、終戦。大戦で1,400万人が犠牲になったソ連は自国の労働力不足を補うため、満州と樺太にいた60万人の日本人を抑留しました。ハルビンに身を置く幡男も例に漏れず、否応なく連行されてしまいます。そして貨物列車に乗せられ辿り着いたのは、スヴェルドルフスクの広漠たる雪原に佇むラーゲリでした。俘虜は氷点下40度をも下回る極寒の中、土木建築作業や鉄道建設などの重労働を強いられ、朝6時から真夜中まで働き詰めの毎日です。日々課せられる過酷なノルマを達成するのは困難を極めました。加えて、1日に支給される食糧は黒パン350グラム、朝夕に粥が飯盒に半杯、砂糖が小さじ1杯のみ。帰国の希望も見えない劣悪な環境下で、俘虜の目は次第に虚ろとなっていったのです。想像を絶する過酷な環境に晒され、強い絶望に打ちひしがれた俘虜たち。実際、不当に抑留された60万人のうち、約1割は伝染病などを発症して命を落としたといいます。敵意を丸出しにしたソ連人の監視、日本人抑留者同士の小競り合い、余りの苦しさに自ら命を絶つ者…。希望のかけらもない毎日は、俘虜から感情さえ奪っていきました。

 それでも、幡男は「生きる希望を捨ててはいけません。ダモイ(帰国)の日は必ず来る」と仲間を鼓舞し続けます。さらには抑留から半年後に夜間勉強会を立ち上げました。勉強することに疑問を抱いていた俘虜に、幡男はこう述べたのです。

「生きて帰るという希望を捨てたら死んでしまう。頭を少しでも使わないと、日本に帰っても捕虜ボケして使いものにならないから」

 不屈の精神を以て人間らしく生きることに徹した山本幡男。妻や子の待つ故郷にもどる日は訪れることはありませんでしたが、幡男は最期まで生きる希望を失いませんでした――。