親は子とどう向き合うべきか

2月の最終週がスタートしました。そして今週末は3月。今日は震えるような寒い日になりましたが、田尻・鞆方面に弁当を配達していると、あちこちで黄色い菜の花が咲いていました。看板には3月10日(日)に田尻の菜の花祭り開催の文字が躍っています。すぐそこまで春が近づいていますよ。

私も娘を持つ親で、父と子の関係性が上手くいっているかというと、決してそうではありません。ついつい感情的になり厳しい言葉になったり、私がきちんと伝えないといけないことをうやむやにしてしまったり‥正直、子育てにあずっておりました。そんな時、ある雑誌で東京家庭教育研究所創設者の故・小林謙策さんの話を目にしました。子育て中の方の一助となれば幸いです。
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小林さんは中学校の校長をしていました。生来の負けず嫌いであったため、娘さんに対しても小さい時から「偉くなれ」と言って育ててきました。

大きくなると、さらにその上に、「人よりも偉くなれ」と育ててきました。娘は小学校、中学校、高等学校までは、自分の思いどおりに伸びてゆきましたが、 東京の大学に行ってからはそうはゆきませんでした。あらゆる努力をしてみても、自分よりすぐれているものが幾多あることを知ったとき 、もはやわが人生はこれまでであると 生きるのぞみを失い、新宿発小田原行きの急行電車に 投身自殺をしてしまったのです。

娘が母親に残した最後の手紙には 「両親の期待に、そうことができなくなりました。人生を逃避することは卑怯ですが、今のわたしにはこれよりほかに道はありません」 と書かれ、さらにつづけて 「お母さん、ほんとうにお世話さまでした。いまわたしはお母さんに一目会いたい 。会って、お母さんの胸に飛びつきたい。お母さん、さようなら。」 と書いてありました。

それを読んだ妻は 気も狂わんばかりに、子どもの名前を呼びつづけ、たとえ一時間でもよい、この手で看病してやりたかった… と 泣きわめくのでした。この姿の中には、子どもと母親の心の結びつきの深さ 親子の真の人間性の赤裸々な姿をみることができました。

考えてみれば、子どもは 順調に成長してゆけば だれでも「えらくなりたい」と思うものなのです。這えば立ちたくなり、立てば歩きたくなり、歩けば飛びたくなる。これが子どもの自然の姿です。心ない草木でさえも 常に伸びよう伸びようとしているように、子どもは無限の可能性をもって伸びよう伸びようとしているのです。

それなのに、わたしは愚かにも 娘に向かって「人よりえらくなれ」 といいつづけてきたのです。「自分の最善をつくしなさい」だけで 娘は十分伸びることができたはずです。

わたしは 娘の死によって 家庭教育の重要性を痛感しました。そしてひたすらに、子どもとはどういうものか、親はどうあらねばならないかを探求しつづけたのです―――。