裏切られ、裏切られ、それでもあなたを待つ!

 「明日もちゃんと仕事に来るんだよ」と声をかけると、「はい、分かりました」と返事してくれます。ところが、ふたを開けてみると欠席。

「明日は絶対に来てね」の返事は「絶対に来ます」と返してくれます。やっぱり、やっぱり欠席。

 いつも、いつも、いつも‥裏切られます。欠席の理由は、メンタルの不調、昨夜眠れなかった、朝起きれなかった‥云々。それでもまだ返事をしてくれる分、ありがたい。連絡しても音沙汰なしの音信不通。これが一番私たちには堪えます。来ることができなくても、声さえ聞くことができれば、私たちは安心できます。電話をかけにくいかもしれませんが、連絡してください。電話が難しければ、LINEでもいい。手段は問わない。あなたとの繋がりが途切れてしまわないように。ただただ、私たちは、明日も、明後日も、その先の未来も、あなたを待ち続けます。

『無力を悟ったホスピス医・小澤竹俊先生の患者への思い』

 ホスピス医の小澤竹俊先生の 『今日が人生最後の日だと思って生きなさい』 という本を読みました。その中に、無力について書かれている章があります。どんな治療を施したとしても、最後は死を迎えます。死にゆく人に対して、その苦しみを和らげることができない、小澤先生も無力であることを痛感しました。

 そんな苦悶を抱いていて、先生は、長い間、「自分は無力である」という思いに苦しんだ果てに、私はようやく「無力でよいのだ」と気づきました。それまで私は、「医者である以上、患者さんの役に立たなければならない」と思っていました。ですが、医者といえども、しょせんは弱い生身の人間であり、できることには限界があります。本当に大事なのは、「患者さんの問題をすべて解決すること」ではなく、無力な自分を受け入れ、医者としてではなく一人の人間として、「患者さんに関わり続けること」である」と気がつかれたのでした。すばらしい気づき。そして、その章の最後に先生は、どうか「無力な自分」を責めないでください。人は誰でも、そこに存在しているだけで、誰かの支えになることができるのです。また、「自分は無力である」という苦しみからも、必ず学べることがあるはずです。その苦しみとしっかり向き合ったとき、人は「たとえ何もできない自分でも、生きていてよいのだ」と考えられるようになるのではないかと私は思います、と述べられています。

 読み返しては、やはりその時々によって受け取り方が変わってきます。私自身、まったくの無力でありますが、はたしてどなたかの支えになっているのであろうかと自問する日々です。