自反尽己の日々が豊かな人生に導いてくれる

 12月がスタートしました。一年の締めくくりです。今年立てた目標は達成されましたでしょうか。それとも道半ばでしょうか。良い年だったでしょうか。それとも良くない年だったでしょうか。いずれにしても一年を振り返りつつ、新しい目標を立てて新年に向けて準備をしていきましょう。何より、良い年、悪い年‥云々ではなく、自分が納得した一日をおくること。その積み重ねこそが大切なのだと思います。

 ―――自反尽己(じはんじんご)―――

 この言葉がピッタリです。周囲のせいにせず、すべては自分の責任であると捉え、自分の力を尽くしきることが実りある生き方に通じると私は思っています。

 12月24日クリスマススペシャル弁当ですが、既に200食近いご注文を頂戴しております。いつもご注文くださるお客様はよくご存じで、早めにご予約を頂いております。残り50食を切り、締め切り間近となりました。注文し忘れている方は、今週中にご予約くださいませ♪

「一羽の鳥を救い得ば~元星稜高校教諭・本田実先生(故人)」

 かつて『虹天』という冊子に本田実先生の講義録が掲載されていました。本田先生は、松井秀喜など、プロ野球選手を多く輩出した石川県星陵高校野球部で20年間、部長として選手たちを育ててこられました。先生が星陵高校に赴任して三年目、一年生の担任になられた頃のお話を紹介します―――。

 11月頃までは順調にきていたらしいのですが、ある女の子が学校を休みはじめたそうです。母親に理由を聞いてみると、「高校へ行く意味が分からなくなった」ということだそうです。不登校になったのですが、先生はまだ赴任して三年目で、どう対応していいか分からず、月並みの言葉しか出て来ませんでしたというのです。結局その子は、12月のはじめ頃に学校を去っていったのでした。このことが、先生にとっては大きな挫折となったのでした。先生は、「担任としての力のなさを痛感した」というのです。

 「世間的には、『高校を出るだけが全てではない』と言ってしまえるのかも知れません。でも私は、『学校に合わなかった生徒が一人去っていきました』ということだけで済ます話じゃない』と思いました」。もし、そのような受け止め方をしてしまうと、これからの教師人生が「ただの先生」で終わってしまう。

 そこで、何か出来ることはないかと問い続けられました。先生に思い浮かんだのは、年賀状を出すことでした。既に年末でしたので、年賀状を書いて出しました。予想通り返事はきません。しかし一年経って、先生は年賀状を書いて「元気ですか」の一言を添えてポストに入れました。次の年もその次の年も……すると本人から返事は来ないのですが、その母親から、その子の近況が分かるような返事が来るようになったのでした。「今こういうことをしている」「結婚しました」「子どもが生まれました」など近況が分かる返事が来たそうなのです。そうして、先生は年賀状を20年出し続けられたのでした。なんと20年目にして、その子から電話があったのでした。近くに来ているので会いたいというのです。

 20年も経って会うと、相手はすっかり大人になっています。彼女は、ひとこと、「先生の年賀状はすべて見ていました」と言ったのです。先生は、その一言を聞いただけで救われたといいます。先生は、彼女に、「あなたが私の教師生活のある意味原点になっている。あなたとの関係があったからこそ、その後に関わることになった生徒たちとの向き合い方が変わったんだ」と言いました。彼女は、「今ならあの時に先生が言いたかったことが分かるんです」と言ってくれたそうです。

 今何をしているのかと聞くと、なんと、「不登校の子供たちの面倒をみる仕事をしています。あの子たちの気持ちが私なら分かるから‥」というのでした。本田先生は、「本当に嬉しかったです。自分の経験をそんなふうに生かしてくれていることを知り、私は本当に救われました」と書かれていました。そして、「そうやって、わずか一年に一枚のハガキでしたけれども、二十年続けた末にこんなことが起こったのです。この体験を思い出すたびに、私はやはり自分の体験の中で感じたものがというのは「本物」であると思います」というのです。

 この話を読んで、涙がにじました。坂村真民先生の「ねがい」の詩を思い起こします。

 一羽の鳥を救い得ば

 一匹の羊を救い得ば

 一人の人を救い得ば