自分たちで守り続ける~わが子に誓った約束~
先週末、年に一度の健康診断を受けました。ブログでも何度か触れましたが、1年前に比べ随分と体重が減り、腹囲もメタボから脱却、指導してくれた看護師さんから大きな病気を患っているのではないかと疑念の目で見られました。もちろん身体の改善は、病気ではなくダイエットなのですが、きっかけを与えてくれたのも健康診断でした。
「いまのままでは娘の成人式の振り袖姿も見ることができなくなる」
それ以来一念発起し、ご飯を食べるのは昼食の一日一食のみ。ラーメンやうどん、スイーツなど甘いものも絶ちました。ブログをご覧のみなさん、健康診断など一年に一度は自分の身体を見つめなおす契機にして、食事の改善や運動に取り組んでいつまでも健康体を維持してください。
今日は利用者様と肉団子とキノコのカレーの盛り付けを行いました。いかがですか?大きな肉団子が3個も入ったボリューム満点のカレーでした。ただ残念なのは、ご注文が少なかったこと。次回はもっと皆さんを惹きつけることができるよう改善し、必ずリベンジします!
「消えそうないのちを守り続けて50年」 塩澤研一/塩澤みどり
標高1000メートルの信州・飯綱高原に広がる癒やし、気づき、学びのコミュニティ「いのちの森『水輪』」。夫婦で代表を務める塩澤研一さんとみどりさんの活動の原点は、出産時のトラブルで最重度の障碍を負った愛娘の誕生でした。
早穂理が生まれたのは1975年4月3日でした。陣痛が起きて入院したんですけど、破水して微弱陣痛になり、自力で赤ちゃんを産み出す力がなくなってしまいました。すぐに帝王切開ができていれば問題なく出産できたかもしれませんが、あいにく産婦人科のお医者さんは医師会選挙に出かけて不在で、助産師さんも当直明けで帰宅していました。ようやくお医者さんが戻った時には、赤ちゃんは産道の中で窒息寸前でした。もう帝王切開ができない段階になっていたので、吸引分娩といって、赤ちゃんの頭に機械を付けて引っ張り出す形で出産したんです。
生まれた娘を取り上げた瞬間に、「あれ、おかしいな?」と思いました。泣き声一つ上げないし、おっぱいにも吸いつかないんです。体中に紫色の斑点ができていて、その中に白い斑点も混じっている。重度の酸素欠乏です。すぐに保育器に連れて行かれたんですけど、娘は中で痙攣を繰り返していました。他の赤ちゃんたちはお母さんの傍でスヤスヤ寝ているのに、なぜ、どうしてと、不安や怒りや悲しみで心は張り裂けそうでした。検査の結果、娘は前頭葉脳損傷という障碍を背負ってしまったことが判りました。出産時の酸素欠乏によって頭蓋内出血を起こし、前頭葉がダメになってしまっているというのです……。
この子は一生歩くことも、食べることも、話すことも、手を使うこともできないでしょうと。その時の気持ちはもう……とても言葉では表現できません……。病院へ抗議しに行きましたけど、どうにも気持ちが収まらなかったですね。あまりの辛さに畳をガーッと引っ掻いて、爪の間は千切れた藁(わら)でいっぱい。もう毎日泣いて暮らしていました。
地元の障害福祉課の方たちがたくさん来てくださって、「お母さん、いまは娘さんも小さいから何とかケアできているかもしれませんが、大きくなったら本当に大変なんですよ」って、施設に入れることを盛んに勧められました。それでどんな施設なのか一度見に行ってみたんです。するとそこの子供たちは、手を縛られて床に転がされていたり、高い柵に囲われたベッドに寝かされていたりして、まともなケアなんかされていない。現実問題としてそういう対応しかできないことは理解できるんですが、とても大切な娘を預ける気にはなりませんでした。
私たちが帰る時には、皆が追いかけてくるんですよ。自分たちの親だと思って。園を出て振り返ると、鉄格子の入った窓から手を伸ばしながら、「お父ちゃん、お母ちゃん」って張り裂けんばかりの声を上げていました。その様子を見て、早穂理は絶対自分たちの元で育てるんだと覚悟を決めました。やれる限りのことをしてあげようと―――。