絶望の淵に立てど、希望を忘れじ

 先週土曜日は、うららかな風のレクレーションの日。利用者様17名、スタッフ7名の総勢24名は、王子町の『焼肉きんぐ』で懇親会を行いました。今日の企画を発表した日から、利用者様はこの日をいまかいまかと待ちわびていました。100分、食べ放題のゴングが鳴ると、5テーブルからオーダーの乱舞。肉、肉、ご飯、肉、肉、ご飯・・と息つく暇もなく次々と注文し、そして食べ尽くしていきます。

「もう無理‥」と早々に離脱する方もいれば、「終了の合図まで食べきる」と闘い続ける方もおられ三者三様。一方の女性陣は、デザートは別腹なのでしょう。お腹いっぱいと仰られた方も、アイスクリームや杏仁豆腐など最後はデザートを注文されていました。(今日はいいんです。特別な日ですから。)

 それにしても食べ放題だと、どうしても食べる方に集中してしまい、ゆっくり話をする暇もなく時間が経ってしまいました。でも、これはこれで、お腹いっぱい食べて、満足そうなご様子を見ると幸せな気持ちになりました。次回は冬に、皆さんに喜んでいただけるレクレーションを企画したいと思っています。また一緒に出かけましょうね。

『希望は失望に終わらず』

 「新約聖書」の中に「患難は忍耐を生み、忍耐は連達を生み、連達は希望を生む。そして希望は失望に終わることはない」という言葉があります。

 作家・三浦綾子さんの生き様は、まさにこの言葉通りの人生でした。肺結核で13年間の闘病生活を送りました。その後も紫斑病、帯状疱疹、直腸がん、さらに晩年はパーキンソン病を患いました。病気に背を向けず、戦い続けることができたのは、愛の言葉に溢れた環境の中にいたのがよかったのだ、と三浦さんは語っています。

 「ギブスベッドに寝たきりになった数年間、母は便器の世話をしなければならなかった。五十二歳から六十五歳まで、寝たきりの私のために外出もままならなかった。そんな私に母は不平ひとつ言わず、綾ちゃん、どんなに長いトンネルでも限りがある。必ずトンネルを出る日が来るよ、と励ましてくれました」

 父親がよく言っていた言葉も忘れられないと言います。

 「綾子、弱く生んで済まなかったな」

 謝らなければならないのは、幾年月たくさんのお金を使わせ心配をかけた自分なのに、そう言ってくれる父親の言葉にこもる優しさが身に染み、三浦さんを勇気づけてくれたと言います。

 それでも、これ程多くの病気に押しかけられると、普通の人なら参ってしまったと思います。

 「神さまが何か思し召しがあって、私を病気にしたんだと思っています。特別に目をかけられ、任務を与えられたと、いい気なもんですね」と三浦さんは笑って答えました。

 艱難はこの人に強い忍耐力を与え、その忍耐力の持続が、いつしかこの人を連達の人にしたのでしょう。

 「人生は思わぬ展開をするものですね。自分の思い通りに動くものではない。けれど、神の御手にゆだねて一歩一歩進めば、いつの間にか絶望が希望に変わっているということがある」

 パーキンソン病の進行で一人では動けなくなっても、三浦さんは希望を持ち、人生に対し微笑んでいました。そして、希望を失望に終わらせない生き方を、教えてくれています。私たちも、いまは絶望の淵にいたとしても、希望を持って人生を貫きたいものです。