熱い思いが、今の自分を支えてくれている

 8月が終わります。うららかな風にとって、いろんな面で、しんどい、厳しい月になりました。利用者様そしてスタッフが新型コロナに感染、コメ不足で購入先に四苦八苦、台風10号で多くの注文がキャンセル・・・。また8月は、盆休みもあり、稼働日が少ない月。企業の活動が長期間にわたり鈍化する時期でもあり、もろに弁当の売り上げが下がります。それに追い打ちをかけるように台風によるキャンセル‥。ため息をついていても仕方ありません。しんどい時をどう捉えて、前に進む原動力にするか‥。経営者としての資質や力量が問われているように思います。どんなに身を削ろうとも、例え無一文になろうとも、この事業を、スタッフを、そして利用者様を守り続けます。そう―――

 One team & One heart

『銀座の名店「小十」をどん底から這い上がらせた〝覚悟の力〟~ 奥田 透』

 銀座・小十は、銀座の街にミシュランの星を輝かせる日本料理の名店。開業後の苦難の道のり、プロフェッショナルとしての覚悟を聞きました―――。

 2003年7月、僕は念願だった東京・銀座に、大ファンだった陶芸家・西岡小十先生の名をいただいた「小十」を開きました。カウンター6席と小さなお座敷がある店でしたけれども、銀座の中心部にあるし、景気が悪いといってもいまよりずっとよかったから、普通に覗いてもらえるかな、6席くらいは埋まるだろうな、といった単純な望みみたいなものがありました。でも何日経ってもお客さんが全然入らない。考えてみたら、銀座ってそういうところじゃないんだね。銀座に来るお客さんは馴染みの所にしか行かないし、紹介がないと新しい店に入ろうとはしない。4000万円の借金をして始めた店も、気がつくと運転資金が300万円を切っていました。家賃と人件費、食材を入れたら2か月ももたなくなっていたんです。持ち家は担保に取られているし、追加融資も断られる。この時、支払いができないという事態に初めて直面しました。これは恐ろしいとかいう次元の話ではありませんでしたね。ちょうど長女が誕生したばかりでしたが、感じるのは喜びよりもプレッシャーばかりでした。その頃の僕はビルの屋上から飛び降りることを本気で考えていました。

 でも、「もう、これで終わりだ」と思った時にふとこういう思いが湧いてきたんです。「来ていたお客さんがいなくなるとしたら、これは自分の責任だ。だけど、誰も来ていないのにいいか悪いかを判断するのはまだ早すぎるんじゃないか。駄目なら駄目で精いっぱいのことをやってみたらいい」

 家内に率直にお金のことを話したところ、へそくりの300万円を何も言わずに出してくれました。ひとまず窮地はしのげたので、次に業界誌に手紙を書いて、新店案内欄に掲載してほしいとお願いしたんです。手紙を書いた10社のうち1社が和食の特集を組んで、うちを1ページでドーンと紹介してくれた。それを見たお客さんがポツポツ出てきて、今度はその雑誌を見た別の雑誌社が特集に載せてくれて……という流れができました。1年後くらいには銀座で人気店の一つになって、開店4年後の2007年にはミシュランガイドで三つ星を獲得できたんです。 

 僕は一度は死んだ人間なんです。だからきっと神様が「そんなにやりたかったら、もう一度だけやってみたら」と可能性を残してくれたのかなと考えています。これまでの人生の中で、店が失敗しそうになったり、いろいろなことがたくさんあったわけだけれども、いまここに、こうしていられるということは、どこかで僕を必要としてくださる人がいたんです。お客様がそうですし、従業員もまたそうだった。と同時に、もう一つ、いまの僕を支えているものは「意地」なんですね。言い換えると、プロとして誰よりもおいしい日本料理をつくりたいという情熱、熱い思いです。その情熱が料理やお店という具体的な形として表れているように思うんです―――。