毎日、しあわせがいっぱい

 日が過ぎて行くのがとても速く感じますね。しかも歳を重ねるごとに、そのスピードが速くなっているように感じます。誕生日を迎え54歳になった私には、ついこの間正月だったのにもう9月になってしまった‥と感じます。私自身、この一年間、目の前の業務に没頭するだけで、成長のないまま時間を浪費してしまったと反省しています。

 経営者として、新たな事業プランも頭に描いていますが、いまは何を為すにもまず手掛けている事業の成功が欠かせません。就労継続支援B型・うららかな風を開業して11月で2年が経ちます。振り返ると、これから順調にいきそうだ‥と喜んでいると、職員の離職もありましたし、予期せぬ利用者様の終結もありました。最近ではコロナの流行や台風によるキャンセル、会社の通帳を見ては絶望‥次々にあわらわれる壁にぶち当たり、自身の考えの甘さ、経営の難しさ、厳しさを身をもって経験しました。

「毎日、しあわせが、いっぱい」

 それでも利用者様と一緒に最高の弁当を作ることができ、お客様からもおいしいと評価してもらえるこの仕事は最高です!これ以上幸せなことはないと心から感じています。 今日も、明日も、きっと良き日になるでしょう。さあ、前を向いて一日のスタートです。

 今日は、利用者様とうららか名物「焼きさば寿司」(税込500円)を作りました。大人気で、たくさんのご注文を頂戴しましたので、無言のまま手を動かすのみ。こうして集中して作っている時間は、色々なことは考えず無心になれます。そして時間内に全てを作り終えた時には、二人で「よっしゃ~」の歓喜。よく頑張ってくれました。very good!

『来日したマザー・テレサが日本人に求めたこと』

 27年前の1997年9月5日、マザーテレサは87歳の生涯を終えました。貧困や病に苦しむ人々の救済に生涯をささげ、ノーベル平和賞を受賞、人道援助の活動家として象徴的な存在でした。テレサが1984年に来日し、聖心女子大学の講堂で講演されたことがありました。この時のマザーの挨拶はいまでも強く心に残っています―――。

「日本では路上で行き倒れて死んでいく人、膿(うみ)にまみれてハエにたかられている人はいません。しかし、日本を歩きながら大変なショックを受けました。街はきれいだし、とても賑わっているのに、その街を歩く人たちの顔に笑顔がないのです。皆さんの悲しそうな表情が心に焼きつけられました。インドの貧しい人たちは体は病んで苦しんでいますが、日本人は心の中にぽっかり穴があいているのではないでしょうか。貧しい人たちの体をケアする必要があるように、寂しい思いをしている日本の人たちには、ちょっとした言葉をかけてあげてください、温かい笑顔を見せてあげてください。それは私がインドで貧しい人々にしているのと同じことなのです」

 話を聞きながら、マザーの日本に対する思いの深さや愛に満ちた生き方、信仰を貫く姿勢に改めて心打たれたものでした。

 カルカッタに「死を待つ人々の家」を開設し約半世紀にわたって貧しい人たちの救済にその一生を捧げたマザーも、最初からぶれない芯の強さがあったわけではありません。貧民街で救済活動を始めた頃は、「餓えている人たちはインド中にごまんといるのに、そんなことをしても焼け石に水ではないですか」という批判が相次ぎ、さすがのマザーも挫けそうになった時があったと聞いています。しかし、そういう厳しい環境に身を置き、日々献身的な活動を続ける中で、マザーやシスターたちの信仰、神との絆は次第に深まっていったのだと思います。