死の淵に立つ私から見える景色は、澄んだ青空と透き通った風

 衆議院選挙は公示されました。12日間の選挙戦に入りました。うららかな風は県道に面しているのですが、早速、選挙カーが颯爽と通り過ぎていきました。選挙でいつも残念に思うのが、投票率の低さです。今でこそ18歳以上であれば誰もが有する権利で、当たり前のように感じますが、かつては選挙権はごく一部の限られた人たちだけが持てる権利でした。日本で選挙が始まった明治23年(1890年)、投票資格を持っていたのは 「満25歳以上の、直接国税を15円以上納める男子」に限られていました。全国の人口のたった1%。女性の選挙権が認められたのは、50年後の昭和20年からでした。大切な一票を無駄にしないよう、皆さんの意思で一票を投じてください。

 

「死ぬ時に起こる心の変化」鎌倉円覚寺管長・横田南嶺

 知人の漢方医で、多くの人の臨終を見てきた方がいらっしゃる。先だって対談をして、人が死に直面してどのような心の変化が起こるかを教わった。まず、男女の欲望が消えてしまう。男女という概念も薄れてゆくらしい。更に、お金や財産などに対する執着が消えてゆき、名誉などへのとらわれも無くなってゆく。そこで、身内に対する思いがわき起こるという。家族に会いたいという思いだ。それを抜けると、最後には吹いてくる風や日の光など大自然に対する思いが残るのだと教わった。最後に大いなる大自然の、吹く風や射し込む光に触れると、人はこの大いなるいのちに帰ってゆくのだという安らかな気持ちになれるのだ、と言われた。

 宮沢賢治は、肺の病で三十七歳の生涯を終えられている。熱心な仏教徒であったことはよく知られている。宮沢賢治が晩年、肺のたいへんな病気にかかり喀血して、血まみれなるような惨憺たる病状の中で作った詩だ。

 だめでせう とまりませんな 

 がぶがぶ湧いてゐるですからな

 ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから

 そこらは青くしんしんとして

 どうも間もなく死にさうです

 けれどもなんといゝ風でせう

 もう清明が近いので

 あんなに青ぞらがもりあがって湧くやうに

 きれいな風が来るですな

 あなたの方からみたら 

 ずゐぶんさんたんたるけしきでせうが

 わたくしから見えるのは

 やっぱりきれいな青ぞらと

 すきとほった風ばかりです   

 出典:宮沢賢治 『眼にて言う』より

 自分を見舞いに来てくれた人から見れば、30いくつの若さで血を吐き息絶え絶えになっている姿は惨憺たる景色しか見えないかもしれないがしかし、私から見える景色は澄んだ青空と透き通った風ばかりである、と詠っています。こういうのを仏の眼(まなこ)というのでしょう。こういう仏の眼を開くことができれば、本当の安心(あんじん)の心境となれるのです。