桜の蕾に込める祈り ― あの春の『菩薩様』を忘れない

桜の開花が待ち遠しい今日この頃ですが、昨日の時点ではまだ「つぼみ」。それでも、春の陽光を浴びて順調に膨らんでいるようです。来週にはきっと、待ちに待った開花宣言の知らせが届くことでしょう。
先日、手元にあった新聞から「今年の桜」というコラムの切り抜きを、改めて読み返しました。
「桜前線が北上を続けている。各地でお花見を楽しむ人の姿がニュースで報じられるたびに、ああ、やっと春が来たんだなという気持ちになる」
そんな書き出しで始まるその記事には、世の中がコロナ禍の苦しみをすっかり忘れ去ろうとしている今だからこそ、心に留めるべき一節が綴られていました。
「ただ、そうした華やかな集まりを見ていると、あの三年間を乗り越えることができなかった人々を思い出し、複雑な思いになることがある」
ウイルスの正体も治療法も分からぬまま命を落とされた方。病床が逼迫し、他の病の治療を受けられずに亡くなった方。そして、極限のストレスの中で燃え尽きてしまった医療従事者の方々……。
この記事を読みながら、私は当時のことを思い出さずにはいられませんでした。
当時、私は医療機関の事務職として勤務しておりました。 目の前には、未知のウイルスへの感染リスクを顧みず、隔離された病室へと向かっていく看護師さんたちの背中がありました。ひるむことなく、ただ目の前の患者様を救うために。その尊い姿は、まるで自らの命を捧げて衆生を救おうとする「菩薩様」のようでした。
華やかに桜が咲き誇るかげで、今もなお涙を流す方がいらっしゃること。お店を畳まざるを得なかった方、大切な身内を亡くされた方。その悲しみの上に、今の私たちの平穏があることを、私は決して忘れません。
しかし、だからこそ思うのです。 「あの日々を乗り越えた私たちは、もっと優しく、もっと強く、今を大切に生きられるはずだ」と。
窓越しに眺めるしかなかったあの春を越え、今はこうして誰の目をはばかることもなく、青空の下で桜を見上げることができます。その当たり前のような日常は、実は多くの献身と祈りの上に成り立つ「奇跡」のような贈り物です。
あの時、自らを律して戦った人々が守りたかったのは、きっとこうした「穏やかな春の風景」だったに違いありません。
桜の花びら一枚一枚には、喜びだけでなく、そこに至るまでの人々の祈りも溶け込んでいるのでしょう。 散っては咲き、命を繋いでいく桜のように。 私たちもまた、あの痛みを「今、目の前の人を笑顔にするための慈しみ」へと変えながら、新しい春を一歩ずつ、力強く歩んでいきたい。
膨らみゆく蕾を眺めながら、そんな「恩返し」のような決意を、静かに胸に刻む今日この頃です。
あの日々を支え抜いたすべての人へ感謝を込めて。
今日、私にできる精一杯の『真心』を、一つひとつのお弁当に込めてお届けします。

