明日の経営のヒントは現場から
79年前の今日、1945年(昭和20年)10月11日、戦後初めて製作、公開された映画『そよかぜ』が封切られました。並木路子が歌う主題歌・挿入歌「リンゴの唄」は、日本の戦後を象徴する歌として大ヒット。歌の始まりは「赤いリンゴに 唇よせて だまって見ている 青い空」で、戦後のヒット曲第1号となりました。可憐な少女の思いを赤いリンゴに託して歌う歌詞が、終戦後の焼け跡の風景や戦時の重圧からの解放感とうまく合っていたのと、敗戦の暗い世相に打ちひしがれた人々に明るくさわやかな歌声がしみわたり、空前の大ヒットとなりました。
10月初旬は配達注文が減り、店頭販売が減りのダブルパンチで、頭が痛い日が続いておりましたが、今週に入り状況が一変しました。献立表を2年近くお渡し続けておりましたお客様から、この度初めてご注文を頂戴したのです。
「過去のチラシもすべて残しています。いつか頼みたい、頼まないといけないと思っていました」
この言葉をお聞きし、胸が熱くなりました。
またある会社様から、お知り合いからチラシをもらわれて店頭にお越しになりお弁当をテイクアウト。お帰りになられて直ぐに配達のご注文をいただきました。きっかけは様々ですが、このような機会をいただきましたので、おいしいお弁当をお届けするのがお返しになります。平常心でありつつ、いつもより感謝の気持ちを添えてお弁当作りをしました。
「答えはすべて現場にある」―――〝ココイチ〟創業者・宗次德ニ氏が語る 誕生秘話
私の人生は偶然の出逢いと行き当たりばったり、成り行きの連続でした。ただ、「感謝と真心」を大切に、人々を笑顔にしたい一心で一瞬一瞬を生き抜いた、確固たる信念を曲げなかったことが、道なき道を切りひらいたのは確かです。ゼロからカレーライス専門店「カレーハウスCoCo壱番屋」(以下ココイチ)を創業し、経営の一道に身を捧げた私の半生が、未来を担う若者の一助になれば幸いです。
高校卒業後、不動産仲介会社に入社した私は不動産業で独立するという目標を定め、1973年、24歳の時に妻と共に宅地建物取引業を立ち上げました。住宅建築ブームの追い風を受け、順調なスタートを切れたものの、不動産業は安定収入があるわけではありません。「現金収入の商売を始めよう」と妻と話し合った末、1974年、名古屋市西区に喫茶店「バッカス」を開店。もっとも、当初は妻が切り盛りし、私は不動産業に専念するつもりでした。ところが開店初日、人手不足で手伝いに駆り出されたことが転機になりました。次から次へと来店されるお客様に対し、お礼の言葉をかけるにつれ、直接お客様の喜びに触れるという不動産業にはない接客の楽しさを味わったのです。
「接客業こそ、私の天職だ」
そう直感した私は早々に不動産業の廃業届を提出し、接客一筋に生きる覚悟を固めました。この出逢いが、私の人生を180度変えたのです。名古屋での喫茶店経営は、モーニングサービスがなければ成り立たないと言われる土地柄にも拘らず、モノのサービスに頼るのは真のサービスではないと断固拒否。お客様は価格よりも売る人の人柄を買っているという考えに則り、感謝の笑顔で溢れた店づくりを目指して〝真心を込めた接客〟を一番の売り物にしました。7時から20時まで働き詰めの日々に、踏切の遮断機が下りている間、運転中の車内で夫婦揃って寝てしまったこともありました。それでもお客様の喜ぶ姿を見るたびにやりがいを実感し、一貫したお店作りを心掛けたのです。本気でお客様を慮った接客を続けたことでいつしか口コミで広がり、オープンから1年後には2号店を出店。朝から晩まで繁盛し、これ以上来店いただく余地がなくなったことを受け始めたのが、出前サービスでした。チャーハンやスパゲティをはじめとしたメニューの中でも、妻が手掛けたカレーライスはひと際注目を集めました。
「そうだ、3号店はカレー専門店にしよう」
カレーの好評ぶりを見て、そう確信し、名古屋市郊外にココイチ1号店をオープンしたのです。1978年、29歳の時でした。オープン2日間の来客数は200人を超え、単日の売り上げも14万円以上を記録する好調なスタートを切りました。しかし3日目からは閑古鳥が鳴く状況に陥りました。忙しさのあまりぬるいカレーや揚げ過ぎたカツを出し、挙句の果てには最も大切な接客までも疎かになっていたのです。お客様が1日30人程しかご来店されない試練の最中、私と妻は「真心を込めたサービスに努めれば絶対大丈夫だ」と互いを励まし合い、目標に掲げた日商6万円に向けてお客様からの声を改善に繋げました。また、できることはすべてやる気持ちで喫茶店の営業を終えた後、サクラとして毎晩カウンターに座り続けたのです。地道な改善と誠心誠意、真心を込めた接客がお客様の心に届いたのでしょうか。オープンから8か月経ったある日、お店に向かうとオープン当初のような賑わいを見せていたのです。この日を境に経営は軌道に乗り、1年経たずに日商6万円を達成、翌年には新たに2店舗を出店し、フランチャイズによる多店舗化を開始しました。私には商売の能力も経営者としての素養もありません。しかし、なぜか拡大志向はありました。現状に満足することなく、もっと伸ばしたい。常にそう考えていたのです。また、師事した経営者もいなければ、経営コンサルタントに相談したこともありません。お客様の声や社員の様子など、明日の経営のヒントはすべて現場で得ていました。超がつくほどの現場主義に徹し、実践を繰り返すことが結果に直結すると実感しています。