【明日がどうなろうと、一輪の花を】震災の夜に支えてくれた言葉

2011年、東日本大震災。 あの大津波、そして原子力発電所の事故。私たちの日常は一瞬にして崩れ、これから一体どうなるのかという底知れぬ不安に包まれました。
放射能の影響も、明日の暮らしも、何もかもが分からない。 そんな「心のざわつき」が止まらなかった日々、私が毎日、毎日、繰り返し読み返していた一編の詩があります。
仏教詩人・坂村真民先生の「バスのなかで」という詩です。
詩『バスのなかで』
この地球は一万年後 どうなるかわからない
いや明日 どうなるかわからない
そのような思いで
こみあうバスに乗っていると
一人の少女が きれいな花を
自分よりも大事そうに 高々とさしあげて
乗り込んできた
その時 わたしは思った
ああこれでよいのだ
たとい明日 地球がどうなろうと
このような愛こそ
人の世の美しさなのだ
たとえ核戦争で この地球が破壊されようと
そのぎりぎりの時まで こうした愛を
失わずにゆこうと 涙ぐましいまで
清められるものを感じた いい匂いを放つ
まっ白い花であった
(『坂村真民全詩集第二巻』大東出版社より)
「守り抜く」という、ささやかで気高い愛
混み合うバスの中で、自分の体がどんなに押されても、一輪の花を潰さないよう「高々とさしあげて」守り抜く少女。その姿は、不安に震えていた私の心に一筋の光を投げかけてくれました。
「明日どうなるかわからない」という絶望的な状況下であっても、私たちはこの少女のように、何かを大切にする心を失ってはならない。真民先生は、その一瞬の光景の中に、人間の尊厳と美しさの極致を見出されました。
「たとい明日 地球がどうなろうと このような愛こそ 人の世の美しさなのだ」
この言葉に、どれほど救われたことでしょう。世界が壊れようとしていても、目の前の「美しきもの」を慈しむこと。その小さな愛こそが、私たちを絶望から「清めて」くれる唯一の鍵なのだと教えられた気がします。
今、この瞬間を大切に生きる
震災から年月が経った今でも、私たちの周りには別の形の不安が絶えません。しかし、この詩を読み返すたびに、背筋が伸びる思いがします。
どんなに大きな渦の中にいても、一輪の花を守る少女のような清らかな心を忘れないでいたい。
あなたの心には今、どんな「花」が咲いていますか? たとえ明日が見えなくても、その花を大切に掲げて歩んでいきたい。そう願っています。

