一日一日が特別で、一日一日がありがたい

 私はもう54歳で人生の後半を歩んでおりますが、娘はまだ小学校4年生。歳を取ってから授かった子であり、かわいくて、かわいくて、目に入れても痛くない、いえ、目にズボズボ入れても平気‥それだけ溺愛しております。共働きのため、娘にはとても心苦しいのですが、小4のいまも学童保育を利用してもらっています。昨日は急遽ではありましたが、久しぶりに迎えに行くことになりました。手をつないでくれるかな?どうかな?と心配していましたが、何と娘の方から手をつないでくれたんです❤めちゃくちゃ嬉しかった~。でも、もうそろそろ嫌がる年頃になりますので、昨日の手のぬくもりを生涯の宝物にします。私の願いは、娘が成人式、いや就職、いやいや結婚するまで何とか見届けてから旅立つことです。(欲張りですかね。)

 少し時間が経過してしまいましたが、1月28日、経済アナリストで独協大経済学部教授の森永卓郎さんが原発不明がんのため、まだ67歳という若さで旅立たれました。亡くなる前日にもラジオ番組に出演されていましたが、森永さんの発した言葉が脳裏から離れません。

「(施政方針演説で)石破首相が楽しい日本を目指すと語ったが、みんなはスルーした。でも私はあながち間違っていないと思っている。私たちは憎しみ合うために生れてきたわけではない。ぎすぎすした、分断された国ではなく、どうすれば楽しい、みんなが幸せな日本になるのかを真剣に考えることこそ、大切だと思っている‥」

 最後の最後まで彼らしいやさしい語り口で、私たちに寄り添うような発言をされていました。もうあの声を聞くことができない‥さみしくてなりません。

 森永さんの死に接して感じたことは―――

 人生に同じ毎日なんて一日もないし、同じ日常は続かない。一日一日が特別で、一日一日がありがたい。起き上がって空を見上げることも、会話をすることも、命があるからこそできる。綺麗な空を子どもと見上げて「綺麗だね」と言えることがどんなに幸せか。たわいもない会話を家族でできることがどんなに幸せなことか。子どもが笑っていまここにいてくれることが、どんなに幸せなことなのか。だって私たちが生きる今日という日常は、森永さんがどんなに願っても生きられなかった未来なのだから!