指先に宿った無償の愛――東京大空襲から81年目の朝に

春の柔らかな日差しが届く季節となりました。 しかし、今から81年前、1945年(昭和20年)3月10日の未明。東京の下町は、文字通りの「火の海」に包まれました。
約300機のB29による無差別爆撃。降り注いだ2000トンもの焼夷弾は、強風に煽られ、一夜にして10万人もの尊い命を奪い去りました。
この悲劇の中で、当時19歳の学徒兵だった須田卓雄氏が目撃した、ある情景があります。それは、戦後25年を経て新聞に寄せられた、語り継ぐべき「母の愛」の記録です。
爪を失くしてまで守りたかったもの
遺体収容の作業に従事していた須田氏は、深川木場の路地で、異様な姿で伏せられた一人の女性の遺体を見つけます。
その女性は、地面に顔を埋めるようにうずくまっていました。 不思議に思い近づくと、彼女の体の下には、手で掘り起こされた大きな穴があり、そこには一人の赤ちゃんが抱かれていたのです。
母親と思われるその女性の十本の指には、血と泥がこびりつき、爪は一枚も残っていませんでした。
猛火と煙が迫る中、彼女は素手で硬い地面を掘り、我が子を火から遠ざけようとしたのでしょう。赤ちゃんの着物は少しも焼けておらず、小さな手は母の乳房をしっかりとつかんだままでした。
残念ながら、煙のために二人とも息絶えていましたが、ひどい火傷を負ったはずの母親の顔は、不思議と苦痛を感じさせない、美しく、慈愛に満ちた表情だったといいます。
「花があったらなあ」という祈り
あたり一面、見渡す限りの焼け野原。 19歳の若者たちは、その母子の前で立ち尽くし、涙で顔をゆがめました。せめてもの手向けにと、一人が破裂した水道管のわずかな水で手ぬぐいを濡らし、母親の汚れを丁寧に拭ったそうです。
「花があったらなあ――」
誰かが呟いたその一言は、地獄のような焦土の中で、唯一残された人間としての良心だったのかもしれません。
81年目に思うこと
あれから81年。 今の私たちは、空襲の恐怖を感じることなく、穏やかな月曜日の朝を過ごしています。しかし、その足元には、爪を失くしてまで我が子を守ろうとした母親や、名もなき多くの犠牲者の無念と愛が眠っています。
凄惨な歴史を振り返ることは苦しいことですが、その記憶を風化させないことこそが、今を生きる私たちの責任ではないでしょうか。
「早期に戦争を終結するため」という名目のもとで行われた無差別爆撃。その不条理に対する憤りを忘れることなく、同時に、極限状態で示された「人間の気高さ」を胸に刻みたいと思います。
明日3月10日を前に、平和であることの重みを、改めて静かに噛み締めています。

