拽石搬心~心を込めて最善を尽くす

 こんなニュースを目にしました。


『秋の味覚マツタケが豊作となっている。土の中の温度が下がり始めた10月の降水量が生育に適していたとみられ、世羅町の取扱施設では例年の10倍を超える量が入荷。府中市の産直市でも地元産が多く並び、不作だった昨年とは打って変わって、活況に沸いている…』。

 私が幼いころは、父や母の実家の山でたくさんの松茸を採ることができました。それが今では高嶺の花。豊作とは言え、なかなか手が届く代物ではありませんね。このニュースを見ながら、秋を味わった気持ちになりたいと思います。

 今週初登場の『ピタパン』ですが、お陰様で大好評。早速召し上がられた方から、「ボリュームがあり、ヘルシーで、しかもおいしかった♡」との感想も頂戴しました。ありがとうございます。ちなみに次回の販売は、再来週となります。いま話題のピタパンをぜひご注文ください。

 「しっかりやれよ~拽石搬心からの学び」
 禅の言葉に、〈搬土拽石〉(土を搬はこび石を拽ひく)という言葉があります。この言葉は禅宗の修行道場での普請(修行僧の共同土木作業)の時に使われる言葉で、家を建てる時には、まず凸凹しているところに土を搬んで土地をならし、家が傾かないように土地を水平に固め、そこに柱の礎石を運びます。土台がしっかりしていないといくら立派な家をそこに建てても安心して住めません。人も同様で、まず自分の土台をしっかり作ることが大切であるという教えです。

 さらに「〈搬土拽石〉も大事だが、そこに〈拽石搬心〉(石を拽き心を搬ぶ)で日々務めないと意味がない」と続きます。では〈拽石搬心〉という禅語からどんな学びを得て、何に気づけばいいのでしょうか。

 毎日、同じように繰り返される日々ですが、その日々を無難に過ごしがちなのが私たちです。毎日が同じように感じられていますが、一つとして同じ自分はありません。どの一日も、どの場所も、どの瞬間も、そこが最初で最後の一瞬なのです。その瞬間に、その時に置かれているその場所で自分がやるべきことに心を込めて最善を尽くす。しっかり地に足つけて、ほかに惑わされることなく、誰のためでもなく、自分の置かれた立場で、その時々にあったやるべき事や、やれる事、自分の本分を一心に全力でつとめる、それが〈心を搬ぶ〉ことであり、ひいては周りの人の力にもなり、巡り巡って誰かの支えになることでしょう。

 つまり、自分がなすべきことを怠らず、コツコツと丁寧に「しっかりやれよ」ということが教えだと私は受け止めました。人に対する「願い」や「思い」は膨らむ一方です。それに振り回されないように、そこに執着しないように、まずはしっかりと地に足をつけて、今なすべきことに全力で〈心を搬んで〉取り組む。「しっかりやれよ」は、相手に対して言っているようで、実は、自分の心を奮い立たせる言葉なのかもしれません。