手塚治虫を育てた母の言葉
この時期になると、小さい頃、亡き父に連れられて仏通寺川(三原市)の上流にホタルを見に行っていました。
「あっちの水は苦いぞ こっちの水は甘いぞ‥」
歌いながらホタルを追いかけていた、あの頃の懐かしい光景が鮮明に蘇ります。このホタルですが、成虫になるとまったく餌を食べなくなり、はけのような口で水を吸うだけだそうです。幼虫の時期に巻き貝を食べて蓄えた栄養が、成虫の余命である1、2週間の命をつなぎます。ホタルの光の舞は、子孫を残すために最後の力を振り絞って恋の相手を探す愛の灯です。飛ぶスピードは桜が散る速さと同じだそうです。何とはかないことでしょうか。まだホタルを見たことのない娘を連れて、ホタルを見に出かけたいと思います。
今日は特別メニューの『明太もちチーズグラタン』を利用者様と一緒に作りました。一層目はじゃがいも明太、二層目はクリームソース、三層目は餅を敷き詰め、四層目は追いクリームソース、五層目は明太子とたっぷりのチーズ。焼きあがったグラタンの上に刻みのりをのせて完成。何とも手数必要なメニューで、時間との戦いになります。『一個入魂』。役割分担しながら作業を進めるのみ。作業完了の目標時間は若干過ぎてしまいましたが、初めてにしては上々の出来映え。お味の方は‥凄腕料理長にかかれば美味しくない訳がありません。今週は焼きさばにはじまり、グラタンに終わりました。どれも大人気のメニューで、時間に追われた一週間でした。次週は何が待っているのか、今からワクワク、待ち遠しいです!
【手塚治虫を育てた母の言葉】
戦後日本における漫画界の第一人者、手塚治虫の家庭は比較的裕福で、新し物好きの父が収集した、当時は珍しかった漫画が本棚に並んでいました。そのような環境も彼の才能を引き出した要因の一つだといえますが、それ以上に大きかったのが母・文子の存在でした。治虫が小学生の時、授業中に漫画を描いているのが先生に見つかり、怒られたことがありました。当時は漫画の価値が世間に十分認められておらず、市民権を持っていなかったのです。文子も学校に呼び出されて、漫画を描くのを止めさせるように怒られます。ところが、家に戻ってきた文子は、「どんな漫画を描いているのか見せてちょうだい?」と尋ね、治虫が持ってきたノートを何も言わずに最後までじっくり読み、こう言いました。
「治ちゃん、この漫画はとても面白い。お母さんはあなたの漫画の、世界で第一号のファンになりました。これからお母さんのために、面白い漫画をたくさん描いてください」。
おそらく、その文子のひと言がなかったなら、私たちが知っている手塚治虫はおらず、いまの漫画界も変わっていたでしょう。その後も、医学部に進んだ治虫が医学と漫画の両立に悩んで、母に相談すると、「あなたは漫画と医者のどっちが好きなの?」、「漫画です」、「じゃあ、漫画家になりなさい」と、あっさり答えたそうです。治虫は後年、この時のことを振り返って、「母はいいことを言ってくれたと思います。母のこのひと言で決心がつき、本当に充実した人生を送ることができました」と自伝に感謝の言葉を記しています。
普通の親なら「漫画家になって生活できますか? 医者になりなさい」と答えるでしょう。「いまのあるがままのあなたでいいのよ」という損得を顧みない、絶対肯定の無条件の母の愛が治虫の才能を伸ばし、天才を育てたのです。子どもが自分に自信を持つ自尊感情は、親から褒められることによって育っていきます。