思い続ければ実現する!

 おはようございます。一週間のスタートです。昨日、高松地方気象台は「四国地方が梅雨入りしたとみられる」と発表しました。平年より4日遅く、昨年より11日遅い梅雨入りです。しかし、広島県は未だ梅雨入りせず‥。憂鬱にな気分になる梅雨ではありますが、さすがに遅すぎると心配になりますね。今となっては早く梅雨入りして欲しいと願うばかりです。

 ホームページの不具合ですが、プロの力をお借りし、週末にも作業を継続。ホームページを作成するソフトにマルウェア(悪意のあるソフトウェア)が仕込まれていることが判明したため除去作業を行い、正常に稼働するようになりました。またセキュリティ対策も講じており、ひとまず安堵しているところです。

 さて、今日は弁当作りには参加せず、利用者様3名と送迎車3台の洗車を行いました。みんなで作ったおいしいお弁当が、薄汚れた車で配達されたら、やはりお客様も良い気持ちにはなりませんね。ですから弁当作り同様、丁寧に、心を込めて洗車しました。洗車が終わった後のみんなの表情は、とても清々しく、誇らしい面持ちでした。また一緒に洗車をしましょうね!

『思い続ければ必ず実現する~演出家・宮本亞門の20代』

 ロンドンでダンスレッスンを受け、演劇を勉強してはいるものの、ただの観光客と同じで、まだ何も成していないではないか──。

 まずは自分で作品をつくらなければ駄目だ。そう考えてすぐに帰国し、企画書を持って営業に回りました。ところがほとんど門前払い、企画が日の目を見ることはありませんでした。舞台に出演したり、振り付けの仕事をして何とか生計を立て、気がつけば28歳の後半に突入していました。

「僕にはやっぱり無理なんだ。僕の出る場なんかないんだよ!」

 そう仲のよかった女性に電話で愚痴をこぼした時のこと。彼女は語気を強めて言うのです。

「あなたはなんて生意気になったの。何も世に出していないのだから分からないじゃない。何かを見せないで、誰があなたを評価するの?」。

 売り言葉に買い言葉で、「分かったよ! 何かつくればいいんだろ、つくれば!」、そう声を荒げて電話を切ったのを覚えています。この悔しさをバネに自分でゼロから行動しようと発心し、悩む間もないほど無心で台本をつくり上げました。誰かを頼りにするのではなく自らキャスティングや構成を手掛け、一つの作品を完成させたのです。それが僕の演出家としてのデビュー作『アイ・ガット・マーマン』です。1987年、29歳の時でした。

 この作品は、ブロードウェイの女王、エセル・マーマンの激動の人生を描いたミュージカルです。ナイトクラブの一出演者から大スターに昇り詰めましたが、私生活では子供の死や離婚、誹謗中傷など様々な苦難が押し寄せます。ミュージカルの舞台ではその人のすべてが演技に表れるため、生半可な覚悟で人を感動させることはできません。そんな世界で己の身を削りながらすべてを曝け出し、人を楽しませることに人生を懸けたマーマン。その生涯を通じて、「何があっても、もうひと踏ん張りする」という気概や「生きる素晴らしさ」を伝えたい。その願いを込めてつくり上げました。主人公に重ねた母の生き方。実は、マーマンの姿には亡き母の生き方を重ねています。母は何度も死の宣告を受けながらも、体調が回復する度に経営していた喫茶店で最後まで笑顔で働き、人生を全うしました。母に限らず、皆それぞれ人知れず辛い過去や痛みを持っているものです。それに屈せず、逆境を糧として生きる大切さを届けようと苦心しました。

 製作にあたっては、稽古場の代わりに安価な区民センターの一室を借りていたため、毎日集合時間前に行って、部屋にある机や椅子を片づけ皆を迎えるところからのスタート。資金繰りからチラシ配りまで、僕がすべてを担いました。そうして迎えた初演は築地にある150名規模の小さな劇場でした。3日間の日程で、初日は半分ほどしか席が埋まらなかったものの、噂が噂を呼んで2日目は満席、そして3日目には何と立ち見客が出たではありませんか。閉幕後はあっという間に再演が決まり、翌年には文化庁芸術祭賞を受賞。一躍、注目の的となったのです。

 29歳でようやく夢を叶えることができましたが、途中弱気にもなりましたし、ぶれそうになったこともありました。しかし、絶対に夢を捨てなかった。僕が唯一したことはそれだけです。夢は自分の思い描いたタイミングでは来ないかもしれません。それでも、思い続ければ必ず実現する、そう身を以て学びました。