後ろ髪を引かれる思いで‥

 三原市内の病院に入院していた母が退院することになり、休憩もままならないほど慌ただしいスタッフのみんなに無理をお願いして、午後から休みをいただき母を迎えに行きました。

 尿管結石の手術のため入院していたのですが、環境が原因なのか、病気が引き金なのかは分かりませんが、食欲や運動機能が低下、全身状態が急激に悪化し、一時は危険な状態になりました。それでも病院のみなさんのケアと母の生きようとする強い気持ちで、何とか一命を取り留めることができました。

 その一方で、認知症が進んでしまい認知症の簡易スケール検査では30点中6点にまで下がってしまいました。何より活気がなくなり、私の問いかけにも「・・・うん・・・」、「・・・はい・・・」と空返事で無表情。とても話好きだった母が別人のようになり、会話すらできなくなりました。どうも私が息子であることも認知してない様子。

 病院から求められた検査などの同意書には、震えるような弱々しい文字で、しかも旧姓で署名していました。(かつては小学校の教員をしていましたので、とてもきれいな字を書いていました)。結婚する前の母に戻ったのでしょうか。入院する前までは食欲旺盛で立派過ぎるほどの体格でしたが、極度の食欲不振でプリンを二口、三口食べる程度になり体重も激減しました。

 いまにも、いのちの灯が消えてしまいそう。

 入院前の施設に戻り、顔馴染みのスタッフさんから「もとの弘子さんに戻るよう精一杯支援します」との力強い言葉を頂戴しました。本来であれば息子の私がその役割を果たさなければならないのに‥。

 ごめんね。本当にごめんね。私は薄情な息子です。

 後ろ髪を引かれるように母を残し、私一人で暗くなった福山へ戻ってきました。

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「扉」 作:藤川幸之助

認知症の母を

老人ホームに入れた。

認知症の老人たちの中で

静かに座って私を見つめる母が

涙の向こう側にぼんやり見えた。

私が帰ろうとすると

何も分かるはずもない母が

私の手をぎゅっとつかんだ。

そしてどこまでもどこまでも

私の後をついてきた。

私がホームから帰ってしまうと

私が出ていった重い扉の前に

母はぴったりとくっついて

ずっとその扉を見つめているんだと聞いた。

それでも

母を老人ホームに入れたまま

私は帰る。

母にとっては重い重い扉を

私はひょいと開けて

また今日も帰る。