少女と園長先生との約束~人生を変える言葉
細菌を原因とする食中毒は夏季に多く発生することから、広島県は6月から9月を「夏の食中毒予防期間」と定めています。食中毒予防の3原則は、①つけない、②ふやさない、③やっつけるを厳格に守ることが飲食を扱う事業者の使命です。事業者だけでなく、どうか皆さんもこの3原則を遵守しましょう。
今日は、利用者様とおにぎりセットとコロッケ弁当を作りました。タッグを組んだ利用者様は、私よりも上手におにぎりを握れるんです。盛付も申し分なく、美しいです。体力的な面の不安がなければ、十分に一般就労が可能な方です。まだまだお若く、伸びしろもあります。毎朝の朝礼で唱和する『日常五心』を誰よりも声高らかに読み上げてくれます。決して慌てる必要はありませんので、どうか一般就労という目標は消さないでください。一歩ずつです!
愛に満ちた言葉はその人の人生を大きく変える。このことを道元禅師は「愛語」の二字で表現しました。曹洞宗長徳寺の酒井大岳住職は、実体験から「愛語」について話されました―――。
ある書道の時間のことです。教壇から見ていると、筆の持ち方がおかしい女子生徒がいました。傍に寄って「その持ち方は違うよ」と言おうとした私は咄嗟にその言葉を呑み込みました。彼女の右手は義手だったのです。「大変だろうけど頑張ってね」と自然に言葉を変えた私に「はい、ありがどうございます」と明るく爽やかな答えを返してくれました。
彼女が右手を失ったのは3歳の時でした。家族が目を離した隙に囲炉裏に落ちて手が焼けてしまったのです。切断手術をする度に腕が短くなり、最後に肘と肩の中間の位置くらいから義手を取り付けなくてはならなくなりました。彼女は、小学校入学までの3年間、事故や病気で体が不自由になった子供たちの施設に預けられることになりました。「友達と仲良くするんだよ」と言って去った両親の後ろ姿をニコニコと笑顔で見送った後、施設の中で3日間泣き通したといいます。しかし、それ以降は一度も泣くことなく、仲間とともに3年間を過ごすのです。そして、いよいよ施設を出る時、庭の隅にある大きな銀杏の木にぽっかり空いた洞の中で、園長先生が彼女を膝に乗せてこのような話をされました。
「ここに来てからもう3年になるね。明日家に帰るけれども、帰って少しすると今度は小学校に入学する。でも今日子ちゃんは3年もここに来ていたから知らないお友達ばかりだと思うの。そうするとね、同じ年の子供たちが周りに集まってきて、今日子ちゃんの手は一つしかないの? なにその手? と不思議がるかもしれない。だけどその時に怒ったり泣いたり隠れたりしては駄目。その時は辛いだろうけど笑顔でお手々を見せてあげてちょうだい。そして『小さい時に火傷してしまったの。お父ちゃんは私を抱っこしてねんねする時、この短い手を丸ちゃん可愛い、丸ちゃん可愛いとなでてくれるの』と話しなさい。いい?」
彼女が「はい」と元気な明るい返事をすると、園長先生は彼女をぎゅっと抱きしめて声をころして泣きました。彼女も園長先生の大きな懐に飛び込んで3年ぶりに声を限りに泣いたそうです。故郷に帰って小学校に入った彼女を待っていたのは案の定「その手、気持ち悪い」という子供たちの反応でした。しかし、彼女は園長先生との約束どおり、腕を見せては「これは丸ちゃんという名前なの」と明るく笑いました。すると皆うつむき、それから誰もいじめる子はいなくなったといいます。
私が教室で愛語について話した時、彼女は「酒井先生は愛語という言葉があると黒板に書いて教えてくれたけど、園長先生が私にしてくれたお話がまさに愛語だったのだと思います」と感想を語ってくれました。彼女はその後、大学を出て「辛い思いをしている子供たちのために一生を捧げたい」と千葉県にある肢体不自由児の施設に就職。いまでも時々、写真や手紙などを送ってくれています。
この湯島今日子さんの話をとおして私は思うことがあります。それは愛語とは決して優しく温かい言葉だけではないということです。「怒ったり泣いたり隠れたりしてはいけません」「義手を外して腕を見せなさい」という園長先生の言葉は、彼女にとってどれほど酷で、苦しいものだったか。想像するにあまりあります。しかし、彼女はこの言葉に誰よりも深い愛情を感じ取り、その苦しみを明るく乗り越えていったのです。園長先生もまた、幸せを思う一心で、あえて厳しい言葉を6歳の彼女に伝えられたのだと思うのです。
私は優しい愛語を「春風心」、厳しい愛語を「秋霜心」と呼んでいます。秋の霜と聞くだけで身が引き締まるのを感じますが、それだけにその言葉は私たちを強く目覚めさせ、変えていく力があります。その時は「ちくしょう」と思っても、長い時間が経過した後で「あの時のあの一語がなかったら、いまの自分はなかった」と感謝せざるを得ない。そういう体験をした人も多いことでしょう。
父は打ち母は抱くの親ごころ