寒露の日に思う:ノーベル賞の光と「非核三原則」の影

今日は二十四節気の「寒露(かんろ)」です。秋が深まり、朝晩の冷え込みが強まる頃に、草木に冷たい露が降りるという意味です。渡り鳥が飛来し、菊など秋の草木が咲き始める、深まる晩秋を感じさせてくれます。
さて、昨日はスタッフの休み、利用者様の救急搬送、さらにはてんかん発作のような意識障害を発症された方もあり、本当にてんやわんやの一日でした。しかし、お二人とも大事には至らず、弁当の遅配もなく、利用者様を無事お送りし、何とか一日を終えることができました。
日本にまた新たなノーベル賞の受賞者が生まれました。日本人として誇らしい気持ちになります。今回受賞したのは、生理学・医学賞分野で、「制御性T細胞」を発見した坂口志文阪大特任教授です。決して華やかではない研究を長年にわたり地道に、そして諦めることなく貫いた証しでしょう。
ところで、今日は51年前に佐藤栄作元首相がノーベル平和賞を受賞した日でもあります。 日本の国是だった「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則を提唱し、その実現に貢献したことが評価されました。これは、史上唯一の被爆国である日本国民の平和への強い誓いの表れでした。また日本が核不拡散条約に署名したこと、沖縄返還を実現し日本の戦後処理を終結させたことも太平洋地域の安定に貢献した業績としても受賞理由に挙げられています。
ところが後に、日米首脳間で「有事の際の核持ち込み」を容認する密約が明らかになりました。これにより、「非核三原則は幻だった」という見解が示され、授賞理由が「間違いである」と見なされる一因となりました。裏切られた思いがして残念でなりません。最近、非核三原則という言葉を耳にしなくなりました。安全保障が米国の核の傘に守られているからにほかありません。最近では核容認論が声を強める中、日本はどの道を選択するのか‥。きれいごとと揶揄されるでしょうが、昨年ノーベル平和賞を受賞した被団協の演説が、その答えだと私は思っています。
『たとえこの国が滅ぼうとも守らねばならないことがある。』
二つの原爆で亡くなられた21万の人々は、日本が核兵器を持つこと、使用することを望んでおられるでしょうか?
『絶対に持ってはいかん、使ってはならん。』
私には、その声しか聞こえてきません。それが唯一の被爆国である私たちの使命であり、日本を愛する真の「大和魂」だと思います。そんな気概、いえ気骨が、いまの日本には必要なのではないでしょうか。


