宮沢賢治を突き動かすもの‥

 昨日帰宅すると食卓にポッキーが置いてありました。どうしたのと聞くと、「今日はポッキーの日よ❤」と娘が教えてくれました。今から25年前の11月11日が「ポッキーの日」とされた理由は、ポッキーの形が1本の棒状に見えることから、数字の“1”が並ぶ日付にちなんでいます。

 江崎グリコが1966年に「世界初の棒状チョコレート菓子」としてポッキーが誕生しました。このポッキーという名前の由来は、食べるときの「ポッキン」という音の響きに由来しています。今では世界30カ国以上で販売されており、「チョコレートコーティングされたビスケットブランドの世界売上No.1」としてギネス世界記録に認定されています。何なんかぶりに食べてみたかったのですが、ダイエット中ですので我慢しました。目標体重までまだ5kg‥。

 今日は利用者様と焼きさば寿司、炊き込みご飯のおにぎりセットを担当しました。焼きさば寿司の美味しさは言わずもがなですが、炊き込みご飯のおにぎりは美味し過ぎて、ヤバいくらい。焼きさば寿司の次回の販売日は14日(木)、炊き込みご飯のおにぎりセットは今週金曜日まで販売しております。ぜひご賞味ください。

 

「雨ニモマケズ ~宮沢賢治の生き様」

 偉い人よりも人のために働く人になりたかった宮沢賢治。

 賢治は岩手の花巻の農業高校で、教師をやっていた時期があるのですが、答案用紙に何も書かなくとも、生徒に絶対に0点をつけなかった。名前だけ書いても20点をあげていました。たとえ何もできなくたって、0点の存在などこの世にいないからです。

 せっかくついた安定職である教師を辞めて、農民になろうとしたときも、思いとどまらせようとした校長に対して、賢治はこう言いました。

 「私は、もっと土にまみれて働きたいのです。教師をして、生徒たちを立派な農民に育てるのも大切な仕事です。でも、それだけでは、本当の農民の苦しみはわかりません。雨が降れば大水でたんぼを流され、日でりが続けば、稲の枯れるのをじっと見ているよりほかに、何もできない人たち。その人たちのことを思うと、のんびり教師などしていられないのです。その人たちと一緒になって働き、その人たちのために、いますぐ役に立ちたいのです」

 農業学校に通う生徒たちの多くが、卒業後、大変だからと農業をせずに役所に勤めたりするのを見て、賢治は「これではいけない。新しい農村社会をつくろう」と意を決したのです。

  雨にも負けず 風にも負けず

  雪にも夏の暑さにも負けず

  丈夫な体を持ち

  欲はなく決して怒らず

  いつも静かに笑っている (略)

 この有名な詩は、賢治が亡くなった後、手帳に書かれていたものをトランクの中から発見されたもので、決して発表するためにつくられたものではありません。賢治の理想の生き方だったのでしょう。誰かが見ているからとか、有名になりたいとか、損得とかではなく、純粋に、世のため他人のために、生涯をかけて雨にも負けずを実践したのです。