仏さんの生まれ変わり

 あと数日で2月が終わります。「一月往ぬる、二月逃げる、三月去る」と言われますが、本当にその通りですね。一日一日、いえ、いまは一分、一秒が惜しくてなりません。無駄にせず、悔いのない生き方を積み重ねていきたいと思っています。さて、明日は特別メニュー「味噌カツ丼」にたくさんのご注文を頂戴しました。新作メニューですので、私も味噌カツ丼を作るのが楽しみで、待ち切れません。3月のご注文もたくさん届いております。数ある弁当屋の中から、うららかな風を選んでくださり、心より感謝申し上げます。皆様のご期待に添うべく、みんなと『ワンチーム』で『一個入魂』。決して妥協せず、まごころを込めたお弁当をお届け致します! 

 戦後、自分のいのちと引き換えに多くの人々を救った青年がいました。感動的な話を紹介させていただきます。
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 長崎県の時津町に、打坂(うちざか)という急勾配の坂があります。そのバス停のそばに建てられている記念碑とお地蔵さんの前では、毎年慰霊の行事が執り行われています。

 昭和24年のことです。地元長崎自動車のバスが乗客を乗せて、この坂を上っていました。坂の半ばに差しかかったとき、突然エンジンが故障し、バスは止まってしまいました。運転手はすぐにブレーキを踏んでエンジンをかけ直そうとしましたが、ブレーキが利かない。補助ブレーキも前進ギアも入りません。三重のトラブルが重なって、バスはズルズルと後退し始めたのです。
 

 そのバスには、鬼塚道男さんという二十一歳の若い車掌が乗っていました。運転手は彼に大声で、「鬼塚、すぐ飛び降りろ。棒でも石でも何でもいい、車止めに放り込んでくれ!」と指示しました。鬼塚さんはすぐに外へ飛び出し、目につくものを車輪に向かって片っ端から投げ込みました。しかしバスは止まりません。乗客のほとんどは、原爆症の治療に通うお年寄りと子どもたちで、脱出はとても不可能です。その間にもバスのスピードは見る見る上がっていきます。坂の下は崖でした。ガードレールもなく、落ちればバスは大破します。

 崖まであと十メートル、五メートル……。

 全員が観念したところで、バスは奇跡的に止まりました。我に返った運転手は、鬼塚さんがいないことに気づきます。まだ車止めになるものを探しているのかと思い、乗客と一緒に探し始めます。ふと、バスの後ろのほうを見て思わず息をのみました。そこには何と、後車輪に身を投げ、自ら車止めになっている鬼塚さんの無惨な姿があったのです。内臓破裂ですでに息を引き取っていました。乗客は鬼塚さんを戸板で運びながら、「この方は仏さんか菩薩さんの生まれ変わりだ」と口々に言い、涙に暮れました。

 事故現場付近にお地蔵が建立さており、70年余りたったいまも、鬼塚さんの供養祭は続いています。