人間は残忍な生き物なのか

今日から二十四節句の「立秋」。秋の気配が少しずつ感じられるようになりました。朝は日が昇るのが遅くなり、夜は日が暮れるのが早くなりました。季節の挨拶も、「暑中見舞い」から「残暑見舞い」に替わり、セミの鳴き声もひと頃より寂し気に聞こえます。大好きな夏が終わってしまう…。

ある利用者さんから、「今日8月8日は福山大空襲の日、知ってた?」と聞かれました。福山に四半世紀以上暮らしていますが、福山大空襲がいつ起こったのか知りませんでした。昭和20年、いまから78年前の夜、空襲により市街地の約8割が焼失。福山城天守閣は焼け崩れ、多くの尊い命が奪われました。

その利用者様が私に伝えたかったのは戦争のことではありませんでした。「日本人は嫌い。昔、日本人から酷い目にあわされた。だから‥」。発した言葉の全てを文字に起こすと誤解を招いてしまいますので差し控えます。それにしても、こんな言葉を聞くとは、これっぽっちも思いませんでした。普段は口数が少なく、感情を表出するタイプではありませんが、その言葉から子どもの頃に受けた傷の大きさが伝わってきます。生涯消えることはないでしょう。

いじめ、ハラスメント、虐待‥こうした言葉を聞かない日はないほど、痛ましい事件が頻繁に発生しています。人間は残酷で残忍な生き物なのでしょうか。

ある雑誌にこんな記事が書かれていましたので紹介します。

人間の心とはそれほどきれいなものではない。「人間の心は自然と似ている。雑草は放っておいてもまたたく間に繁茂する。しかし、美しい花は、水を与え、肥料をやり、虫を除け、丹精込めて育てなければ花開かない。人間の心も、それと同じである。放っておくと、雑草が生える。心の花を咲かせるためには、絶えず心を見張り、雑草を抜きとらなければならない。」