一人じゃない〜遺伝子が記憶する悠久の物語〜

12月のメニュー表が完成しました。12月24日(水)のクリスマスイブは、恒例の『クリスマス・スペシャル弁当』です。限定300食です。いつも完売してしまい、お受けできないお客様もおられました。お電話でも、FAXでもどちらでも結構です。ぜひお早めにご予約くださいませ。なお年末年始の休業は、12月31日(水)~1月4日(日)としております。
皆さんは「一寸先は闇」という言葉をご存知だと思います。これから何が起こるかわからない、という不安を表す言葉としてよく使われます。しかし、私が敬愛する詩人、坂村真民さんは、こう言いました。「一寸先は、闇ではない。光である」と。
私たちは普段、自分ひとりの力で生きている、あるいは自分という存在は、自分一代限りのものだと考えがちです。 しかし、私たちの命は、ある日突然発生したものではなく、ずっと昔から連続しているものです。今日の科学的な見地から見ても、我々の遺伝子には遠い過去の情報が刻まれています。脳の中には、ヒトになる前の記憶、もっと言えば、魚類だった頃の記憶さえも残っていると言われます。こう考えてみると、今ここにある私の命、そして皆さんの命は、遥か彼方から途切れることなく受け渡されてきた「バトン」そのものであると気づかされます。そう思うと、孤独感がふっと消え、大きな流れに守られているような、不思議な安心感を覚えませんか。
私たちはつい、物事のすべてを理解したい、白黒はっきりさせたい、と焦ってしまいます。 しかし、『わかる』という言葉は、刀で物を分けると書く『分かる(分断)』に通じます。すべてをわかろうとすることは、自分と他者を切り分け、分断を生み、時に傲慢さを招いてしまう」と。逆に、「わからないこと」をそのまま受け入れること。「命がどこから来たのか、すべてはわからないけれど、それでいい」と認めること。 そうすることで、私たちは謙虚になれます。境界線が曖昧になり、他者や世界と融和することができるのです。世の中は、元来わからないことばかりです。 しかし、わからないからこそ、謙虚になれる。 わからないからこそ、「今」を大切にできる。その中で、たった一つだけ、はっきりと「わかる」ことがあります。 それは、「今、自分が生きている」ということです。過去がどうであれ、未来がどうであれ、今ここに命がある。 この確かな事実さえあれば、私たちは前を向いていけるのではないでしょうか。
「一寸先は光」。
わからない未来を恐れるのではなく、自分の中に流れる悠久の命を信じて、今日という一日を大切に過ごしていきましょう。

