うさぎとかめの教訓

 一週間がはじまりました。オリンピックを見ては心を熱くし、この先の天気予報を見ては心がくじける今日この頃です。オリンピックも、暑い夏も、まだまだ続きます。

 さて、コメ不足が続いております。1ヶ月ほど前に20俵近いお米を確保しておりましたが、そのお米も残りわずかになりました。秋の収穫まで一ヶ月、いつもお願いしている新市のお米屋さんから購入すれば乗り切れると思っておりました。しかし、そのお米屋さんに連絡すると、「販売できるお米も1俵のみ、価格は4,000円/kgで良ければ販売する」との返答。

 一俵だけ、しかも今までは2,800円/kgでしたので、耳を疑いました。これでは買えない‥。四方八方にご相談したところ、何とか400㎏(約13俵)を購入できることになりました。ただ、新米が届くまでの必要、あと10俵は確保したいと思っております。それにしても秋の収穫が待ち遠しいです。

 今日は、一ヶ月ぶりに、利用者様と焼きさば寿司を作りました。作るのはだんだん収斂されてきており、時間内に手際よく作れるようになりました。そして、お客様からの人気も未だ衰えず、大人気です。今週をのがすと、来月の販売となります。気になる方は、今週のうちにご予約ください。

『三遊亭歌之介さんを発奮させた「うさぎとかめの教訓」』

 落語家の三遊亭歌之介さんは、家賃や電車賃も払えない長い下積み時代を経て、四代目三遊亭圓歌を襲名されました。歌之介さんといえば、人生訓、健康法を交えながらの鹿児島なまりの独特の講演でも知られています。笑いを交えながら人生や経営、子育てなどについて自身の考えを盛り込んだいまの落語のスタイルを確立したきっかけを与えてもらったのは、遠縁に当たるジュポン化粧品本舗の故・養田実社長でした―――。

 私が真打ちになったのは昭和62年5月。林家こぶ平さんと一緒の昇進でした。真打ちが発表されると、2人がいる部屋に一斉にマスコミが押し寄せたのです。ところが、フラッシュを浴びたのはこぶ平さんだけ。数メートル横に私がいたのですが、どこの社も見向いてもくれませんでした。私はくやしくて涙を抑えられなくなって走って外に飛び出し、電車に乗りました。そこに偶然にも養田社長がいたのです。

「歌さん、浮かぬ顔してどうしたんだ」と聞かれ、私は理由を話しました。すると養田社長はこう切り出したのです。

「うさぎとかめの童話があるだろう。うさぎは、どうしてのろまなかめに負けたのか。言ってごらん」

 私は答えました。

「うさぎにはいつでも勝てると油断があったのです。人生は油断をしてはいけないという戒めです」

 養田社長は「本当にそう思っていたのか。零点の答えだ」と語気を強めて、静かにこのように話したのです。

かめにとって相手はうさぎでもライオンでも何でもよかったはずだ。なぜならかめは一遍も相手を見ていないんだよ。かめは旗の立っている頂上、つまり人生の目標だけを見つめて歩き続けた。一方のうさぎはどうだ、絶えずかめのことばかり気にして、大切な人生の目標をたった一度も考えることをしなかったんだよ。君の人生目標は、こぶ平君ではないはずだ。賢いかめになって歩き続けなさい

 さらに養田社長は言葉を続けました。

どんな急な坂道があっても止まってはだめだよ。苦しいときには、ああ何と有り難い急な坂道なんだ、この坂道は俺を鍛えてくれているではないか、と感謝しなさい。有り難いというのは難が有るから有り難いんだよ

 私は社長のこの一言で迷いが吹っ切れたのです。そして、自分の人生の目標に向かって黙々と歩き続けよう、と思ったのです。