いまを生きよ!いまを生き切れ!

 今日は、『中秋の名月』にあたります。十五夜として親しまれ、ススキや団子をお供えして月を愛(め)でる習慣が残っています。丸い満月は豊穣の象徴だとされていて、農作物の収穫への祈りと感謝を月に祈るようになりました。農作業は月の満ち欠けに合わせて行われていたため、月の神様には五穀豊穣のご利益があるとされていたのです。

 その五穀の一つであるお米を受け取りに、県北にある庄原市へ行きました。日本の原風景のような山、川、田畑。こうした場所で育てられたお米は間違いなく美味しいに違いありません。少しの時間滞在しただけで、身体の隅々まで浄化されたような清々しさを感じました。お願いしていた50俵のお米(1500㎏)を持ち帰るのにかなりの体力を消耗しましたが、当面の弁当作りに支障のないお米を確保でき安堵しております。

 今日は利用者様とおにぎりセット、五目ちらし寿司、そしてタコライスを作りました。沖縄のソウルフードのタコライスは、うららかな風の特別メニューの中でも人気が高く、いつもたくさんのご注文を頂戴しております。ひき肉、トマト、レタス、そしてチーズがとても心地よく喉を通りすぎてゆきます。しかも、見た目も色鮮やかです!主役のトマトの旬が終わりますので、次回の登場は来年になります。楽しみにお待ちください!

『田坂広志さんが生死の瀬戸際で掴んだ覚悟』

 いまから38年前、32歳のとき、私は重い病を患い、医者から「もう長くは生きられない」との宣告を受けました。医者から見放され、自分の命が刻々失われていく恐怖と絶望の日々、両親は私に、ある禅寺に行くことを勧めました。藁をも掴む思いで、その寺に行きましたが、そこには何かの不思議な治療法があるのではとの期待は、すぐに打ち砕かれました。

 寺を訪れると農具を渡され、ただひたすら畑仕事で献労をすることが求められたのです。明日の命も知れぬ自分が、なぜこんな農作業をやらなければならないのか。そう思いながら鍬を振り下ろしていると、不意に横から「どんどん良くなる! どんどん良くなる!」と叫ぶ声が聞こえてきました。見ると一人の男性が懸命に鍬を振り下ろしている。しかし、その足は大きく腫れ上がり、ひと目で腎臓を患っていることが分かりました。休憩時間に声を掛けると、その男性は言いました。

「もう10年、病院を出たり入ったりですわ。一向に良くならんのです。このままじゃ家族が駄目になる。自分で治すしかないんです!」  

 その覚悟の言葉が胸に突き刺さってきました。そして、その瞬間、一つの思いが湧き上がってきました。「そうだ、自分で治すしかないんだ!」。それまで自分は、医者が治してくれないか、この寺が何とかしてくれないかと、常に他者頼みであり、自分の中に眠る無限の生命力を信じていませんでした。それが最初の気づきでした。

 それから数日後、山の中腹の畑を耕しに行くことになりました。当番になった私が仲間に農具を配り終え、先に出発した仲間を追って山道を登り始めると、思わず言葉を失う光景を目にしました。それは、足を患っている献労仲間の老女が、鍬をにして、山道を必死に登っていく姿でした。農作業はおろか、歩くことすら困難なのに、不自由な足で、鍬にすがりながら、山道を登っている。しかし、その後姿から、その老女の覚悟の声が聞こえてきました。

「たとえ畑に辿り着けなくとも良い! 私は全身全霊、この命を振り絞って登り続けます!」

 私は思わず心の中で手を合わせ、「有り難うございます。大切なことを教えて頂きました」と念じながら、横を通り過ぎていきました。

 その献労の日々を続け、寺の禅師との接見がかなったのは、ようやく九日目の夜でした。長い廊下を渡って部屋に入り、一対一で向き合った禅師は、力に満ちた声で、私に聞きました。

「どうなさった」

「はい、実は……」

 私は堰を切ったように苦しい胸の内を吐き出しました。重い病気を患っていること、医者からもう命は長くないと言われたこと、一縷の望みを抱いてこの寺へやってきたこと……。禅師はきっと、何か励ます言葉をかけてくれるに違いない。そう期待しながら語りました。私の話を聞き終えて、しばしの沈黙の後、禅師は言いました。

「そうか、もう命は長くないか」

「はい……」

 その後、禅師は、腹に響く声で力強くこう言ったのです。

「だがな、一つだけ言っておく。人間、死ぬまで命はあるんだよ!」

 私は部屋を出て長い廊下を戻りながら、禅師の言葉を思い起こしました。その瞬間、突如、気づいたのです。そうだ、禅師の言う通りだ。人間、死ぬまで命があるにも拘らず、私は、もう死んでいた。どうしてこんな病気になってしまったのかと「過去を悔いる」ことに延々と時間を使い、これからどうなるんだろうと「未来を憂うる」ことに延々と時間を使い、かけがえのない、いまを生きてはいなかった。その瞬間、禅師が続けて語った言葉が、心に甦ってきたのです。

過去は無い。未来も無い。有るのは、永遠に続く、いまだけだ。いまを生きよ!いまを生き切れ!

 この言葉が胸に突き刺さってきました。このとき、私は一つの覚悟を心に定めたのです。

 「ああ、この病で、明日死のうが、明後日死のうが、もう構わない。それが天の定めなら仕方ない。しかし、過去を悔いること、未来を憂うることで、今日というかけがえのない一日を失うことは、絶対にしない。今日という一日を、精一杯に生き切ろう!」

 そう覚悟を定めた瞬間、私は病を超えたのです。もとより、奇跡のように病が治ったわけではない。しかし、心が病に囚われなくなったのです。