いくつもの関所を越えていくのが人生!

先日Instagramをはじめましたとお伝えしましたが、ど素人で動画撮影や編集が上手くいかず、機能も使いこなせず四苦八苦です。毎日使って、慣れていきますので、どうかご容赦を‥。

江戸時代、国境に関所を設け、人や物の往来を取り締まりました。通行手形がなければ関所を越えて他国へ行くことは許されません。中でも容易に通過できない関所を難関といいました。そして人生にも関所があります。

―――人生はしばしば出合わねばならぬ関所を幾つも通り抜ける旅路である―――

人は関所を越えることで、人生に新しい世界を切り開いていくのです。関は人間を磨く通過門と言えるのかもしれません。

福島悟さん。1983年の春、東京都立大学の人文学部に二十歳で入学。盲ろう者としては日本で初めての大学進学。福島さんは三歳で右目を、九歳で左目を失明、全盲となりました。生来が楽天的、と本人が語っておられましたが、視力を失っても音の世界がある、耳を使えば外の世界と繋がることができると考え、実際、音楽やスポーツや落語に夢中になっていたそうです。しかし、さらなる過酷な試練に襲われます。十四歳の頃から右耳が聞こえなくなり、十八歳、高校二年の時に残された左耳も聞こえなくなってしまったのです。

全盲聾――光と音からまったく閉ざされた世界。

福島さんはその時の状態を「真っ暗な真空の宇宙空間に、ただ一人で浮かんでいる感じ」と表現しています。なぜぼくだけこんなに苦しまなければならないのか、これから先、ぼくはどうやって生きていけばよいのか……不安、恐怖、絶望。

ある日母親が福島さんの指を点字タイプライターのキーに見立てて「さとしわかるか」と打ちました。「ああ、わかるで」と福島さんは答えました。この指点字は福島さんの人生の転機となりました。真っ暗な宇宙空間から人間の世界に戻ってきたのです。そして、この指点字を得たことで、たくさんの人と語り、多くのことを学び、世界を広げていきました。2008年東京大学教授へ。世界初、盲ろう者として常勤の大学教員となりました。そうです、福島さんは関所、いえ難関を乗り越えて行かれたのです。