「僕が食べられなくても、みんなが喜ぶなら」~内なる慈悲の光

日本で一番素晴らしい会社を問われたら、私は真っ先に「オーザック」と即答するほど、敬愛している会社様です。そのオーザック様から80周年記念誌を頂戴しました。記念誌の一つは、岡崎会長・副社長様のお嬢様が小学生の頃に書かれた文集を絵本風にまとめられた冊子が添えられていました。とっても心温まる絵本で、娘を持つ私は涙が止まりませんでした。やっぱり素敵な会社様です!


先日、臨済宗・東福寺住職・伊藤弘陽さんの法話を拝聴する機会に恵まれましたので、紹介いたします。ご住職にはまだ小学生のお嬢様がいらっしゃいます。その小学校では、子どもたちの希望で献立を決める「リクエスト給食」という楽しい取り組みがあるそうです。お嬢様のクラスでも、何を食べたいか多数決を取ったところ、一番人気は豚肉を使った料理でした。誰もが、これで決定だと思ったその時、一人の男の子が声を上げました。
「先生!〇〇君は豚肉を食べられません!」
インドネシア出身で、イスラム教徒であるため、豚肉は口にできません。この発言を受けて、クラスはすぐに話し合い、最終的に献立はみんなが食べられる「鶏の唐揚げ」に変更されました。さらに驚くべきことに、豚肉が食べられないはずのインドネシア人の少年自身が、最初の多数決で豚肉の料理に「賛成」の手を挙げていたというのです。その少年になぜ賛成したのか尋ねると、彼はこう答えました。
「僕は食べられないけど、みんなが喜んで食べているのを知っているから、みんなが喜ぶと思って手を挙げた。」
自分の食べられないものに、あえてみんなの喜びのために賛成する。自分の損得勘定を一切排し、ただひたすらに他者の喜びを願う。この純粋な思いやり、利他の心こそ、ご住職が説かれた「仏様の心」、すなわち「慈悲の心」そのものではないでしょうか。ご住職は、「このような純粋な思いやりの心は、特定の宗教や国籍、大人からの教えに関係なく、人間が本来持っている宝物なのだ」と説かれました。私たち自身の内側に「仏様の心」という、世界で一つの輝く光、すなわち宝物があるのだと語りかけます。どんなにつらく苦しい日を迎えることがあったとしても、自分に与えられた場所で、目の前の人にできるだけのことをしてあげる。これが、内なる宝物である「仏様の心」を活用して生きることです。この宝物を活かして生きることこそが、幸せに生きることに通じていくのではないでしょうか。

