能なしであったがゆえに耐えることができた
ばら祭りが終わりました。日頃なかなか一緒に時間を取ってやれない娘と祭りに出かけました。娘は、市内のボランティアの高校生たちに教えてもらいながら、折りばらに挑戦しました。なかなか難しかったようで、四苦八苦しながら、でも楽しそうに作っていました。それにしても、ばら公園など花壇に咲き誇る様々な種類のばらに見入ってしまいました。福山市民のばらに掛ける並々ならぬ心意気を感じました。本当に見事でした。
今日から二十四節気の「小満(しょうまん)」です。陽気が良くなり、万物に生気が充満し、草木が生い茂る時季になりました。そして、今週末は初夏の到来を告げる風物詩「鞆の浦 弁天島花火大会」が開催されます。いろいろなイベントが開催され、ワクワクしますね。
利用者様二人と新メニューの今治発祥「焼き豚玉子めし」の盛り付けを行いました。新メニューは注文が多い傾向にあるのですが、今回も例外ではなく、たくさんのご注文を頂戴しました。この場を借りて御礼申し上げます。料理長も自画自賛の納得の美味しさ。そして、召し上がられたお客様からも「おいしかった」と声を掛けていただきました。残念ながら6月の献立には入っておりません。7月は‥乞うご期待!
イエローハットの創業者である鍵山秀三郎氏が、創業時の大変な時代をこう振り返っています―――。
仏教に、「忍の徳たること、持戒苦行も及ぶこと能わざるところなり」という教えがあります。持戒苦行というのは、例えば千日回峰行のようなお坊さんの命懸けの厳しい修行のことを言いますが、日々体験するいろんなことを我慢する、耐えるということは、そうした宗教的な苦行も及ばないくらいに尊い修行であるということです。
私は幸いにして、能なしであったがゆえに耐えることができたんですね。これまでいろんな辱めにあってきましたけれども、もし幾らかの才能があったらとても我慢できなかったでしょう。逆に、中途半端な才能なんか持っていなくてよかったと思うくらいです。創業時には、商品を売りに行ってもまず相手にしてもらえることはありませんでした。名刺も受け取ってくれない。取ってくれたと思うと目の前で破り捨てられるバケツの水をかけられる。自転車を蹴倒され、積んでいた商品がそこら中に散乱してしまったこともあります。それでも私は耐えました。だから今日こうして健全でおられるわけです。もしあの時に私が腹を立てて行く先々で喧嘩をしていれば、きょう皆さんの前に立つことはできなかったでしょう。皆さんも「忍の徳たること、持戒苦行も及ぶこと能わざるところなり」という教えを、ぜひとも心に刻んでいただきたいと思います。
うららかな風を開設する前、かつて医療法人の管理職をしていた頃にお付き合いのあった事務長さんや院長先生にご挨拶に行きました。その中には、「500円のお弁当では、やっていけないでしょ」とバッサリ言われたり、「障がい者の作ったものは‥」と単刀直入に断られたり、弁当の紹介をさせて欲しいと伝えるとアポイントすら取れなかったり‥しんどく、つらい時期がありました。その悔しい思いは、エネルギーになり、ばねになります。今も決して平坦ではありませんが、不平や不満を言わず、日常の中の修行を積み重ねていくのみです。