相手が1番、自分は2番
早朝出勤する際の車の温度計は9度。暖かい気温に慣れた体には堪える寒い朝でしたね。一転して昼間は20度と寒暖差が大きい一日になりました。身体への負担も大きいと思われますので、皆様もどうぞ健康管理にお気を付けください。
2日間の体験利用を終了された方が、今日から正式に利用開始になりました。うららかな風にようこそ。今日からうららかな風のチームの一員です。まだまだご不安な気持ちが大きいと思いますので、私たちもしっかりと声掛けしサポートさせていただきます。「ワンチーム&ワンハート」を大切にして楽しく仕事をしていきましょう。
今日は利用者様2名と手作りハンバーグ弁当とおにぎりセットをつくりました。2人とも見事な盛り付けスキルです。完璧です。いかがですか、美味しそうでしょ?ハンバーグ弁当は明日が最終日です。来月の献立に入る可能性は‥。まだ召し上がられていない方は、ぜひご注文ください。
ものまねタレントのコロッケさんが中耳炎になったのは小学校2年生の時。しかし、そのことを家族には話しませんでした。家がとても貧しく、女手一つで2人の子供たちを育てる母親のことを思うと、どうしても言い出せなかった‥。それでも、耳の痛みはその後も時々起こり、中学2年の時、突然耳鳴りがして右耳に激痛が走り、倒れ込んでしまいました。そのまま入院となり、治療の甲斐なく右耳の聴力を失いました。
(コロッケ)
母は「大丈夫ね?」と声を掛けてくれましたが、その表情はとても辛そうでした。母は痛みを打ち明けられずにいた僕の気持ちを分かってくれていたでしょうし、そうさせてしまった自分を責めていたに違いありません。僕はと言えば、落ち込んだのは本当に一瞬でした。「左耳が聞こえるからいいや」とすぐに気持ちを切り替えていました。両耳が聞こえることを期待するのではなく、片耳になってどうすべきかを考えていました。自分から先回りして相手の右側に座る、それもふざけたりしながら相手に気づかれないように自然な形で振る舞う、という技術をいつの間にか身につけていったんです。この時の呼吸は、その後、お笑いの世界に入ってからも大変役に立ちました。
そんなコロッケさんの原点とも言える言葉があります。「この言葉だけは覚えておきなさいこれを覚えておけば大丈夫だから」と母親が教えてくれた「あおいくま」の教えです。
【あせるな おこるな いばるな くさるな まけるな】
この5つの言葉は、その後の人生の様々な局面でコロッケさんに大きな力を与えます。中学生になった頃から芸能界に強い憧れを抱くようになり、19歳で熊本から上京。その後、六本木のショーパブでものまねを披露しながら芸能界入りの機会を窺いましたが、なかなかチャンスに恵まれません。小さなアパートに住んで質屋通いを続けるコロッケさんを励まし続けたのが「あおいくま」の教えでした。
厳しい下積み時代を経てコロッケさんの名を不動のものにしたのは1982年の「ものまね王座決定戦」での優勝。この時、母親から言われた「これからたい(おまえはまだまだこれから)」という言葉はコロッケさんに1つの気づきを与えます。
〈コロッケ〉
それまでの僕は「あおいくま」の言葉を他の誰かを対象として考えていました。○○さんに対して怒るな、○○さんに負けるな、○○さんに威張るな……。しかし、それはすべて他人ではなく、自分自身に向けての戒めの言葉であることに、ようやく気づくことができたんです。
「相手が1番、自分は2番」というコロッケさんの人生観はこうして生まれたのです。